横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

南アのアパルトヘイト撤廃で、南アは大きく変わっていく。
東芝の販売代理店も新たにベジェレとマイクによりTECMED社がスタートした。
ベジェレはドイツ人で、マイクは2〜3代前にオランダ人の先祖が南アに来たと言う。
この会社はベジェレが実質の社長だが、国籍の問題で書類上はマイクが社長。
ただし、出資者はホテルと病院とワイナリーをいくつも持っている60過ぎのおじさん。
このおじさんは、自分のホテルの最上階に広い部屋を持っているが、日頃は小さな民家に奥さんと二人で住んでいる。
この小さな民家に一度お伺いしたことがあるが、扉を開けて中に入るとフカフカの絨毯が敷き詰めてあり、家具や調度品も凄い。
自家用車はなく、夫婦が外に出てもとても大金持ちの夫婦とは思えない。
聞いてみると、当時、南アの所得番付14位だと言う。
彼らのオフィスはヨハネスブルクと首都のプレトリアの中間に位置した小さなオフィスでスタートした。
当時の商業都市ヨハネスブルクは、世界でも最も危険な都市と言われていた。
立派なホテルのリッツカールトンがあるが、そこから車で移動するのが一般的。ホテルの周囲を歩いているのは黒人だけ。
ホテルの裏には公園があるが週に一度は殺人事件があると言う。
だから、オフィスはヨハネスブルクから離れた所に持ったと言う。
現に、ベジェレの小さなカバンにはピストルが入っている。
また、マイクの家に一度行ったが、自宅の側の小屋では銃の弾を作る道具が揃っていた。
我々は、病院を訪れると多くの黒人が患者として来ていた。
ベジェレの話では、数年前までは、全て白人しか来ていなかったらしい。
多くの白人は、アパルトヘイト撤廃で、国外に行ったという。黒人の仕打ちを恐れてのことらしい。
こんな状態でベジェレ達は販売活動を広げていった。
ヨハネスブルクにN1病院、N2病院というのがある。日本的に言えば、国立第1病院、第2病院と言うのであろう。
ここで大型受注をした。
当然、私が特別価格を彼らに提示したから受注出来たのだ。
しかし、採算が取れないから、ベジェレに当時のデクラーク大統領とゴルフができるように計画してくれと指示した。
ベジェレは約束通り保健省の大臣経由で、このゴルフの約束を取り付けた。
そして、当時の事業部長に、デクラーク大統領とゴルフする予定になっているから、行ける準備をしてくれと話を持ち込んだ。
当然、事業部長は大喜び。
しかし、オープニングセレモニーの1ヶ月前に、ニュースで流れた。マンデラが釈放されて、島から戻って来ることになった、と。
マンデラ大統領誕生ということになったのだ。
これじゃ、デクラークもゴルフをやっちょる場合じゃあない。
しかし、歴史が大きく変わる時、こんな話があったとは、お釈迦様でもご存知あるまい。

話は変わるが、この当時、南アに出張した時、ベジェレの来るのを待つためにホテルのコーヒーショップに入ったら、そこにスティービーワンダー御一行が居て、私はビックリしたことがあった。

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