横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私の甥であり、姪である皆さんは、佐藤家の名前と呼び名についてご存知でしょうか?

今日は、その秘密について、少しご披露しましょう。

まず、あなた方のお爺ちゃんやお婆ちゃんを皆さんのお父さんやお母さんの名前について、説明しましょう。
お爺ちゃんの名前は一夫。これを「カズオ」と呼ぶ人が一般的ですが、正しくは「イチオ」です。戸籍上そのようにフリガナがふられています。どうも、出生届を出す時に爺さんが間違えたようです。
お婆ちゃんは「ユリノ」と教えられましたが、戸籍上は「ユリ」と書いてあったのを見てビックリしました。本人に聞いたところ、「ユリノのはずなんだが・・・」と不思議がっていました。
それでは、子供達はなんと言っていたのでしょうか?
実は、私もその事はあまり知らないのです。すなわち、私が物心ついた頃にはもう、あなた方のお父さんやお母さんは成人してて、自分の父親、母親を何と読んでいたのか記憶にありません。
私は、「とおちゃん」「かあちゃん」と読んでいました。
このことで、面白い話を覚えています。

私が小学6年生の頃、河口の叔母さん(かずえさん)は、中学2年生になった頃、急に「ママ」「パパ」と言い始めたのです。多分、「とおちゃん」「かあちゃん」と呼ぶのは品が悪いと思ってのことでしょう。言われた母親は、目を丸くして驚いたり、大笑いしたことを今日のように覚えています。ただし、かずえさんが父親に直接、「パパ」と言うことはありませんでした。

啓一さんは、ほとんどの弟妹は「にいちゃん」と呼んでいました。
長女のシズエさんは、「ねえちゃん」と呼んでいました。
次女のキヌエさんは、「きんこちゃん」と呼んでいました。
次男の秀夫さんは、「ひどおちゃん」。
三男の文夫君は、「ふんちゃん」。このおじさんについては別の機会に紹介します。
四男の久夫さんは、「さおちゃん」と呼んでいました。
三女のかずえさんは、「かえさん」と呼んでいました。
なお、私は、「えっちゃん」と呼ばれていました。

私が小学1年生の時、啓一さんが結婚をしました。
その時、「きんこちゃん」や「さおちゃん」が私に、お嫁さんを「おねえさん」と呼びなさいときつく指導しました。私は、しばらく、里江のお嫁さんを「おねえさん」とは呼べませんでした。
なぜか?
「そんな呼び方を俺はどおしても、どおしても、”おねえさん”なんて言えねぇ」てな感じでした。