横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

東京に戻った文夫君は、どんなツテで芸能界に入ったかはわからないが、芸能プロダクションのマネジャーとして働く。

本当かどうかは分からないが、アントニオ古賀のマネジャーを長い事やっていた。
その後、目方 誠(後の美樹 克彦)、大月ミヤコなどの歌手のマネジャーをやっていたらしい。

私が中学一年生の時、自ら、家に帰って来た。
親父が新築を始めた頃のことで、古い家は半分解体していた。
私は残った家の二階で一人で勉強していると、トントンと文夫君が上がって来た。
「お前は、偉いなぁ。勉強が好きか?」、と私に聞く。
私は、駅前の喫茶店で買って来てくれたカツサンドを文夫君と一緒にそのサンドイッチを食べた。

私はその夜は勉強するのをやめて、文夫君と話をした。
というより、文夫君の話を聞いてやったというのが正しいであろう。

久々に帰省した文夫君の話を聞く兄姉がいなかったせいで、何とか家の誰かと話がしたかったのであろう。

文夫君は、今までの家での話、仕事の失敗例、そして、今、ようやく成功したことを特に自慢するでもなく私に話した。
多分、文夫君にとっては、8歳下の弟の私こそ、自分の本音を話す事が出来たのだと思う。文夫君は自分の弱さも吐露してくれた。

中学一年の私には、文夫君を説教することこそできなかったが、お袋がコッソリ泣いていたことを文夫君にありのままに話した。
すると、文夫君は、私の話をじっと聞いたまま、黙って、階段を降りていった。そして、翌日には家を出ていった。

フーテンの寅のように、自分の居場所がここにはないと察知して。