横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

皆さんは、自分の記憶で一番古い記憶はなんですか?
私は振り返るのには4歳か5歳の頃のもの。

昭和28年だったと思う。
山口県に台風がやって来た時のこと。
この台風は雨台風で、山口県内の各所で床上浸水の被害が起きた。
盆地の厚狭も同様で、厚狭川が決壊し、水が田んぼを流し、多くの百姓は悲惨な目に合った。

昭和28年台風第13号 厚狭の写真

それから数年経ったら、みんな結婚したり、就職したりで、かなりの兄姉は家を出て行った。
そして、お盆や正月に、みんな帰省して来て昔話に花が咲く時、必ず、この時の水害の話が出てくる。
川が決壊してくる様子と自分達が我が家に向かう時の話を昨日の出来事のようにするのだ。
すると、みんなの当時の思いがまざまざと浮かび上がってくるのだ。
残念ながら、私は、ただ聞いているだけ。

水害に備え、ご飯を炊きおにぎりを作る様子を楽しそうに話す。
また、家財道具を高い所に上げたり、畳を上げたり、その時の光景をみんながそれぞれに語る。

その時に出てくる話が、岡崎のキヌエ姉の話。
「えっちゃん、覚えてるかね、私があんたをおぶって、二階まであげたんよ。その時はもう、水が腰上のところまで来ていて、もう、大変じゃったんよ。あんた、覚えちょらん?」

いつしか、そのことが私の4歳の記憶となって生きている。

もう一つの私の記憶が、節分の豆まきシーン。
鬼の役は誰だったか分からないが、豆をまくのは、やはり、キヌエ姉。

豆は当然大豆であるが、その中には紙で巻いた菓子や飴も入っている。
それをつかんで、鬼は外と叫んで投げる。
そして、福は内と言って、4歳の私と6歳のかずえ姉が持っている袋にお菓子を入れてくれるのだ。みんなはその光景が面白くて、ワイワイ騒ぐのだ。
当然のことで豆やお菓子は家の中でまくのだ。

この豆まきが終わると、恒例のお菓子の配分。
お菓子はいつもの通り、かりんとうとリン菓子?とキンカポール?など。
これらのお菓子を配分するのに、新聞紙の上に10個の山を作る。
するとみんなが、これが大きいとかこっちが少ないとか大騒ぎ。
これが我が家の最高の幸せ。
最後に私とかずえ姉にはおまけとして2つか3つのかりんとうを乗せてくれる。
これがなんとも嬉しい。