横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

中南米、特にブラジルを担当して四年経った頃、ベネズエラで問題が起こった。
二年前、ベネズエラで東芝の医療機器を販売したいという会社が現れ、独占販売契約を交わし、ビジネスをスタートさせたらしい。
この会社は、ベネズエラで薬の販売をしていた会社らしい。
この会社を便宜上、M社と呼ぶことにする。
当時の契約で、三年間で、何億円以上の東芝製医療機器を買わなければならない約束だったらしい。
M社は、約束通り、レントゲンを買って、販売した。
しかし、販売する際、所定の条件で使えば、定格のレントゲンが出力できると顧客である病院に説明した。
そこまでは、良かった買った病院は定格のレントゲンが出力できないと騒ぎ始めた。経験ある販売代理店では問題なく説明できるのに、営業マンあるいはエンジニアが上手く説明出来なかった。
一方、その問題を投げられた東芝側も、それほど重要視しなかった。顧客にとっては、待てども待てども返事が来ない。
だから、M社にもう買わないからレントゲン装置を持って帰れと騒ぎ始めた。
その時の東芝側の担当は、人のいい荻島さんだった。
荻島さんは、あれほど、言ったのに工場は動かなかった、お言うばかり。
先ず、最初にベネズエラに飛んだのは、ブラジルのサービス部長だった森永さん。
彼は、DRと話した結果、東芝の販売資料に問題ありと主張したため、販売代理店のM社は東芝の責任だと強気に出て来た。
そのことで、代理店に誤解だと説明に言ったが剣もほろろ。
最後に担当地域の違う私にお鉢が回って来た。
損害賠償として6億円を要求してきている状況だった。
私の役割は、出来るだけ金を使わずに、ことを穏便に収めること。当然、クレームを付けている医者には満足行くようにする必要があった。
私は、商社から来た部長、富樫部長と話しをした。
何とか6千万円以下で話しをまとめるつもりだが、それでいいか?と尋ねると、
「お前に任せる」
と言うので、私はベネズエラに行くことにした。
ベネズエラのカラカスの空港に着くと、東芝駐在員事務所の木下氏が私を出迎えてくれた。
本来、彼は重電事業の関係で来ているだけで、医療機器事業とは何の関係もない。
初めて、カラカスに入る私のために、来てくれただけ。
翌日、木下氏は、事務所の車で私を迎えに来てくれ、私をM社に連れて行ってくれた。
M社は郊外にあり、六階建ての工場らしき建物だった。
我々が案内された部屋は社長室らしく、そこのテーブルに座れと言う。
間もなくして、社長が、遠く離れた机に現れた。
我々と社長の距離は約10メートル位。
この男、普通に握手で挨拶することなく、机の椅子に座るや否や、マイクを持って、喋り始めた。
「Mr.Sato、東京からよく来てくれた。一寸、窓からそとを見てくれ」、と言う。
言われるままに、まだまだ言って外を眺めた。
すると、なだらかな山に沿って墓地が見えた。
また、下を見ると、銃を肩にかけたガードマンが数人、建物の周りを歩いていた。
テーブルに戻ると、また、マイクから声が聞こえて来る。
「Mr.Sato、今回、例の問題を解決していかなければ、墓地に眠っていかなければならないことになる、、、」
このスピーチの後、私と話しをするセールスマネジャーとチーフエンジニアを紹介した。
ミーティングは翌朝からとして、その日は木下氏とそのまま帰った。
東芝の事務所に戻り、事務所長に報告したら、
「そんな奴は見たことがない。佐藤さん、今後一人で動くのは危険だと思う。あのM社は元々、イタリア出身で薬の商いをしているのなら、イタリアマフィアだろう。」と言う。
しかし、私は、木下氏を巻き添えにしたくないので翌日から一人でM社に行くことにした。
翌日、ホテルでタクシーを捕まえて、M社の名刺を見せながら、M社に何とかたどり着く。
昨日のセールスマネジャーとチーフマネジャーが私を会議室に連れて行った。
会議室と言っても、倉庫脇にある部屋で黒板があるだけ。
それを見て、どっちみち、こいつらには何の権限も与えられてはいないだろうと推測し、こいつらから社長に私の真意を伝えなければならないと考えた。
そこで、一応、彼らの言い分を聞くことにした。
言いたい放題なことを言うので、M社には何の責任もないのかと問うと、ハッキリ、「ない」と答える。
私は、M社と東芝が一緒の立場でDR達を説得しなければ、この問題は解決出来ないことを強調した。
そこで、一旦、責任の所在は議論しないことにして、どのようにDR達を対応すべきかを話すこととした。
そして、特に二人のDRが強く文句を言っていることが分かった。DRの文句を洗い出した。
そこで、早速、東京へ報告することとした。
翌日、東京からのアドバイスは特になし。
そのまま、M社に行った。この日から責任問題で喧嘩が始まった。M社の連中は、責任は東芝にあるの一点張り。私は、販売代理店の売り方にも問題ありと主張。
そして、翌日は二人のDRに挨拶に行くことになった。マラカイボというところ。カラカスとマラカイボは共に赤道直下にある都市だが、カラカスは高度1000メートルの涼しい町。一方、マラカイボは海に面しているため、椰子の木が沢山ある。実に暑い。
その町のDRを訪れた。私の名刺を渡すと、中南米担当と分かり、スペイン語で捲し立ててきた。
私は、まだスペイン語は喋れないので英語で話してくれと頼む。とても屈辱を感じた。
そのDRから、直接クレームを聞いてよく分かった。
レントゲン装置は高圧発生器とコントローラーとエックス線の管球とテーブルで構成されている。
ところが、エックス線管球に間違って負荷がかかり過ぎないように、コントローラーで高圧電流を抑えている。DRが欲しいエックス線画像はもっと高圧電流を流す必要がある。即ち、エックス線管球が小さ過ぎるのた。
M社曰く、同様のDRが26名居ると言う。
一本のエックス線管球は300万円するので全部代えたら約一億円掛かる。
これをM社に言えば、東芝が全部負担しろと言う。
ここからが駆け引きである。どうしても折半にするように持って行けば、彼らは金を出したくないのでDRとの交渉を始めるだろうと考え、折衝を始めた。
彼らも一歩も引かないので、交渉はこれまでと言って何度もテーブルを蹴ってホテルに帰った。
東京に、その旨を伝えると、三日後に部長がカラカスに来ると言う。
この時期は、私は食事が出来ない状態まで来ていた。
昼はフルーツサラダやスイカのジュースだけ。
営業部長は、技術部長まで連れて来た。
これも部長の駆け引きである。
部長二人が来ると、M社の社長は渋々、私が出した案を飲んだ。
覚書を作り、サインをすると、その晩、二人の部長と私を社長のマンションに呼んだ。部屋はマンションの最上階で広さは400平米あるという。
通路には、高そうな絵が掛かっていた。
何を食べたか、記憶にはないが、そこでは、M社の社長と部長が楽しそうに話していた。
いよいよ、食事も終わりに近づいた頃、部長が食事に招待してくれたお礼と今回の問題解決に協力してくれたことに対する謝意を述べて、後の残務は佐藤が全て行うことを告げた途端、
「佐藤は、一緒に連れて帰ってくれ。こんな頑固者は見たことが無い。」と笑いながら握手を求めて来た。
翌日、二人の部長を空港に見送りに行った時、
「佐藤君、君の頑固さで、社長は折れてくれたんだ。ありがとう。」と言ってくれた。
それから、三日後、私はカラカスを経ってメキシコに向かった。
その機内の中で、それまで張っていたお腹も元に戻り、機内食が食べられた。

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