祈り

2014年01月10日

私は、マザーテレサに敬服をしている。
名前はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。
現代のマケドニアのスコピエに生まれ。
そのアグネスが12歳の時には将来、
インドで修道女として働きたいという望みを持っていたといわれる。
18歳のとき、聖座の許可を得たアグネスは故郷のスコピエを離れアイルランド系の修道会であるロレト修道女会に入って、
カルカッタ(現・コルカタ)へと赴くことになった。
そこで路上で死に掛けた人を抱きかかえ、
「あなたの人生は決して無意味ではありませんでしたよ」、と微笑みかけた。

そんなことに何の意味があるのか?
とほとんどの人は、アグネスのこの行為の意味が解らなかった。

しかし、彼女の行為こそが意味あることと評価され、今では平和のシンボル的存在となった。

彼女は祈って神から力を授かったと言う。
彼女は祈りは力だと言うのだ。

私は、祈りがなぜ力なのかと考えた。
自分の魂に投げかける。
自分はこうしたいと思うが、それでいいのかと?
また、自分の進むべき道に明かりを照らして欲しいと。

祈りこそが自分の魂との会話なのだ。
祈りこそが神から啓示を受ける手段なのだ。

しかし、我々の祈りはいつも半信半疑。
同様に、自分の進むべき道に確信を持ってはいない。

頼るべきではない。
進むべき道を決め勇気を持って進む。
そのことの確認のために祈るのだ。

しかし、悩みがある場合の祈りはどうなるのであろうか?
進むべき道は二つしか見えない。
どちらを選ぶべきか?
そんなときには実は第三の道が見えないから迷っているのだ。
祈りで第三の道を見つけるのだ。

叩けよ、さらば開かれん、という言葉があるが、
祈れよ、さらば開かれん、の方がいいような気がする。