白鵬がなぜモンゴルに

2014年01月10日

昨夜、テレビ番組”オーラの泉”のゲストは白鵬だった。
江原さんが言う。
「あなたは、自分が日本人だと思うことはありませんか?」
それに対し、白鵬は笑ってうなずいた。
その意味は、そうであるかも知れないし、そうではないかも知れないといった表情だった。
江原は続ける。
「あなたには、江戸時代の関取の魂が入っている。しかも、モンゴルに生まれる必要があったのです。今の日本に生まれたのでは、横綱になるチャンスはない。大自然を相手にし、モンゴル相撲の横綱を父に持つ環境が、あなたの魂には最も良い環境だったのです。」

この考えはヨーガの輪廻転生の考えと合致している。

ところが、私が不思議に思うのは、あの盲目のピアニスト辻井伸行さんのこと。

素晴らしき、音楽家になるための最もいい環境が、盲目なのか?

多分、真の音楽家には実は視力があることは雑念が起きやすいのかもしれない。

人が集中するためには、目を閉じることと関係がありそうだ。
目は、生活するためには必要なものだが、神を感じるのにはあまり意味がないのかもしれない。

神のメッセージは光と音。

そうすると、目と耳は必要ではないか?
この光は、実は目で見る光ではなく、瞑想を通して見えるもの。
耳も同様。

人間の五感は生活のための機能。
この感覚で神のメッセージはつかめない。