山の声 父、異郷に果つ

2014年01月14日

国境を無事越えることに成功した父は、五年間にかなりの金額を送金したという。

勿論借金は、早く返済したらしい。

やがて5年も経過した頃、

「五年経ったから、帰国の準備をする」

という手紙が来たので、留守宅では喜びにわいていた。

しかい、それ以来、父からの便りは、暫く途絶え、友人から届いた手紙で、病気していることが分かった。それから間もなく、危篤の電報が届き、重ねて死亡の電報が届いた。

死因は急性脳膜炎だったそうである。

こうして帰国を目前にして、妻子に会う事も出来ず、異国で帰らぬ人となった。死亡した病院はロスアンゼルスで、友人に看取られて逝ったとのことである。

朝早くから親戚の人達や、近所の人達が大勢私の家に集まって 来た。吉常のおじいさんや叔母たちは、前日から泊まっていた。

私もその日は大好きな、友禅の花柄の着物を着せてもらい、帯も華やかに絞り染めにしたのをしめて、得意だった。私は嬉しくて、一人ではしゃいでいた。

「この子は何も知らないで、人が多いものだからこんなに喜んでいる。」

と私を見て誰かが言った。

「志乃、今日はあんまり騒いじゃあいけんぞ、お父ちゃんのお弔いじゃけん」

おじいちゃんは、優しく志乃を抱き寄せながら言った。

やがて、お坊さんが来てお経が始まった。集まってきた人たちは、それぞれお線香をあげて拝んだ。母は髪の毛を切って、それを白紙に包んで仏前に供えていた。

これは私が五歳の時の唯一の記憶である。