山の声 早津山

2014年01月14日

昭和二十五年の或る日、山の仲介人が、一つの大きな杉山を勧めに来た。

「こんな立派な木が、これだけまとまっている山はまたとなかですばい。是非見て下さらんか。」

仲介人あ、山の図面を見せたり、木数などを書き込んだ調査表を見せ、詳しく説明した。

「そんな大きな山は、うちくらいの小さな材木屋では手が出んばい。第一、金のもないし、貸し手もなか。」

夫は取り合わなかった。

「見るだけ見て下さらんか。無駄にはなりまっせんばい。」

「大分県なら、大きな材木屋が、いくらでもあるじゃあなかね。山吉、金又、権藤とかそうそうたる商店があるけん、そういう所に持って行きなさらんか。」

夫は面倒臭そうに、煙草をふかしていた。

「それはどの材木屋も、この山は皆、見て知っていますよ。大分県、殊に日田方面では、評判の山ですたい。」

「そんないい山を、どうして皆、買わぬのか。不思議じゃあなかね。」

「だから、大将、一度見てくれんですか。見ないと分らんでしょう。搬出の方法に、見当がつかずにいる所もあるらしいですたい。」

こういうやり取りを、仲介人が来て、何度も繰り返していた。

この仲介人は、松尾松蔵という人で、山林業、木材業界では、知らぬ人はないくらいの人物である。大分、熊本、宮崎を地盤に手広く、仲介網を張っているベテランである。

松尾氏は性懲りもなく、訪ねて来ては、しつこく言った。

夫もついに根負けして、兎に角見るだけでも見ようか、勉強にもなるだろうからということになり、正月の休みに、見に行くことになった。

その山は、大分県上津江村にあり、地名を早津山と言った。

県道から山道に入るところで、車を降り、山径を五キロほど歩いて登った。径は馬車が通れる所もあり、通れぬ所もあった。トラックの通れる径はわずかだった。

片側は山に沿い、片側は深い渓流に沿った径である。

「なるほど、この道では、出材はできない。道づくりが大変だ。」、と夫は言った。

私たちは二時間ほど歩き、目的の山に辿り着いた。山は話に聞いたとおり、見事な杉が麻柄のように、まっすぐに伸びて林立している。全山が電柱になるような杉で、八万本立っていると言う。面積は八十七町あり、実に壮観という外ない。

山に関心を持つものなら、一応惚れ込むに違いない。大分、福岡の材木屋は、大抵知っているらしいが、なぜ、今まで誰も手を付けなか着けなかったのだろう。それは、金額の大きいことと、出材についての難問が理由であろう。

片側の断崖に面したところの道路作りは、難問中の難問である。トラックの通る道を作らねば、出材の方法はないだろう。

私もこんな素晴らしい立木は見たことがなく、立木の生育ぶり、材質の良さ、八万本というまとまり、道路の外はすべて非の打ちどころがなかった。

私も少しは、山の見分け方くらい出来るようになっていたので、こんな山を手掛ければ、材木屋冥利に尽きるとさえ思った。

山代金は、土地共で五百五十万円ということだった。差し詰め、現在の価格に換算すれば、七・八億円という所だろうか。

勿論、私たちにそんな大金ができる筈もなかった。その後、早津山のことは、折に触れ話題に上った。また、仲介人も、時々やって来た。

「あの山、何とか買えぬものかなぁ。」

夫は、私に話し掛けるようになった。

「買いたくても、我々には手が出ないでしょう。金額は大きいし、遠方過ぎるし。。」

私は、夫が諦めるように言った。

「日田の山吉や、権藤も手を付けきらんからなぁ。」

夫はつぶやくように言っていた。

「皆、考えていることは同じでしょ。道路があれじゃぁね。」

私も相槌を打っていた。

「人が手を付けきらんから、割安で、面白味もあるもんね。」

と、夫は食指を動かしていた。兎に角、夫は、人のやれぬことをやるのが好きな性分である。この山も本気で関心を持つのは不思議ではなかった。

「私は、また、借金するのは、もうこりごりよ。それに少々の借金じゃぁなし、気の遠くなるような借金だから、勿論、貸し手もなかろうけど。」

夫と私はこんな会話を、折に触れては繰り返していた。

ある日、夫が私に言った。

「志乃、一つ当たってみるか?」

「何を当たってみるの?」

私は夫を見つめながら言った。嫌な予感がしたのである。