山の声 ダンスを習う

2014年01月14日

身動きとれず、二人で悶々とした日を送っていた。子供達は久しぶりに、両親が家にいるので喜んでいた。

その時、一つのことが私の頭に浮かんだ。

「今のうちにダンスを習っておこうかしら。こんなに毎日ブラブラしていたら、時間がもったいない。」

その頃、ダンスが流行し始めていた。ダンスを知っておくことは、将来役に立つかもしれない。また、一方では、万策尽きた夫に、やけでも起こされたら、困るという考えもあった。

夫は共鳴も反対もしなかった。

学校の先生をしている親戚の博之さんが、ダンスのできるのを知っていたので、この人に家に来て教えてもらうことにした。学校の方は丁度夏休みだったので、好都合だった。

二階に蓄音機を上げ、レコードで練習が始まった。夫も黙っていつか仲間に加わっていた。家は製材所で敷地も広く、隣近所に音の聞こえる心配はなかった。

しかし、身内か、親類の者にでも知れたら、それこそ山はほっぽり出して、夫婦でダンスに現を抜かすとは、何事かと怒鳴られるに決まっていた。

音は外部に絶対に、もれぬよう注意し、家族の者にも、口外しないよう、固く口止めした。

ダンスは、一番初歩から始め、ブルース、単語、トロット、ワルツと一通り習い、いろんなレコードをかけて、毎日踊った。

せめて、踊っている時間だけでも、金銭地獄から解放されることが出来ればと、ただ、ひたすら踊った。

こんな両親の姿を見ても、子供たちは不潔とも嫌いとも言わず、一緒にいられるので、毎日嬉々としていた。

一ヶ月ばかりこんな日が続いた。心にもないダンスに酔いしれているうち、二人とも大変上手くなった。

この間は、金の話はタブーだった。しかし、時々山から、金はまだかと催促してきた。

「出来ないものは仕方がない。ダンスでもしなければ、こちらの気が狂いそうだ。でなければ、一家心中するより仕方がない。」、とさえ私は思った。

しかし、死ぬのに急ぐ必要はない。

「山には木材が山ほどある。あれはみんな金なのだ。唯、そのまま使えぬだけだ。それを金に換えるため、こんなに苦労しているだけだ。頑張れ。」、と私は自分に強く言った。

ある日、夫は、博之さんに話していた。

「博之さん、今、私ゃ、二百万円ばかりの借金がある。働いても働いても、金は右から左に消えて行ってしまう。この借金ば、返して、じっとしていた方がよかかも知れん。山の人夫達に給料払って、食料の心配までして、食わしている。ただ働きみたいで一つも報われん。どうしたもんかのう。」

「栄さん、気持ちは分かりますばい。でも、一にも辛抱、二にも辛抱ですたい。頑張らんですか。」

「うん、そうかのう。」

博之さん相手に、夫はやり場のない気持ちを打ち明けていた。

本心でもない踊りと音楽に明け暮れて、一ヵ月ほど経った頃、野中さんが、四十万円の金を用意してくださった。

それは、野中さんと共有で、木屋村に一つの杉山を持っていた。その山の栄の持ち分を野中さんが買い取って下さって、その杉山の代金として四十万円を支払って下さった。

当時の四十万円は、現在の三千万円ぐらいの価値はあるだろう。

地獄で仏とはこのことで、涙の出るほど嬉しかったのは言うまでもない。

この金を持って、取るものも取りあえず、山に登り、各部署、各人に分配し、まあまあ文句の出ぬ程度に、支払いを済ました。

木材は主に、日田方面に出荷していた。

夫は山に泊まり込みで、指揮をとり、私は外部の用を引き受けていた。

日田の旅館に泊まることもあれば、広川の家に幾日か居り、また、山に登って一週間くらい、泊まることもあった。

一番下の寿江美は三歳だった。家のこと、子供のことは、留守中、律ちゃんに任せっきりだったが、毎日のように来てくれて、泊まったりしていたので、その点、安心だった。子供たちも、律ちゃんによくなつき、殊に寿江美は夜も一緒に寝ていた。

私が一週間も山に泊まり、何日に家に帰るからと連絡しておくと、律ちゃんは子供たちを連れて、近くのバス停まで、迎えに来てくれていた。

しかし、山の都合で、連絡しておいた日に、帰れぬこともあった。

最終のバスまで待って、お母さんが帰って来なかった時の、子供たちの失望は可哀想で、見ておれないと言っていた。子供達は泣きたいのを、じっと我慢していると言い、

「奥さんが帰ると言われた日には、無理してでも帰って来て下さい。でないと、子供達があんまり可哀想で。」、と律ちゃんは涙ぐんだ。

「御免ね。あんたにも苦労ばかり掛けて、私も家のこと、子供のことが気がかりで仕方ないけど、手が足りないもんで。」、と謝る外はなかった。

律ちゃんは、実に働き者の娘であった。子供の世話の傍ら、野菜作りも上手だし、子供達の衣料も、うまく繕って着せていた。