山の声 経済九原則

2014年01月14日

丁度この頃、福岡銀行の佐藤重役から、自分の持ち山を買って欲しいと言う申し出を受けた。木材は当時多量にもっているので、

「今のところ、山は要りません。重役さん、それに金もありません。」

と、断った。しかし、重役さんは、

「手形で良い。私に金要りが出来たので、手放そうと思い立ったけど、本当は売りたくはなかですたい。取っときなさい。損はせんですばい。」

と言われれば、お世話になっている銀行の重役の申し出ではあるし、渋々五十万円の手形を書いて、土地とも買い取った。

山の調査もせず、図面と登記簿謄本をもらい、ご本人の申し出の金額だった。

この山は早津山の近くに所在し、松杉雑木などが立ちこみ、見た目にはパッとしない山だった。

翌年、この山の松と杉の大きいのを、二回にわたり伐採して売った。そして、土地とも残っている木全部を関氏に売った。

関氏は、八女郡横山村の人で、山の仲買や仲介業もしていて、業界では顔の広い人だった。赤ら顔の太った体躯で、当時五十歳くらいだった。

関さんには、九百万円で売買契約した。最初、四百万円を受け取ったが、残金五百万円が揃わなかったので、関さんが、津江に持っていた山を、五百万円に値踏みして、その山を野村が引き取り、決着をつけた。

その後、日田の育英会の希望により、関さんから買った津江の山を八百五十万円で売却した。自分の家で場際し、売却した松杉が、雑費を引いて、千万円位にはなっており、二年足らずの間に、この五十万円の山から、千七、千八百万円は儲かったことになる。

山の商いは、面白いもので、いやいやながら買い取った山だっただけに、運が良かったと言うべきだろう。

丁度この頃、我が国は、アメリカの占領下にあった。アメリカのドッジ博士が来日して、経済の九原則というものを作り、これを日本国民に、守るように命令した。

占領軍の命令により、物価凍結令が出たので、それから世の中は不景気となった。