山の声 叔父野村幾平

2014年01月14日

夫の叔父の野村幾平は、朝鮮平上で手広く旅行用具店を経営しておられたが、朝鮮動乱の時、体一つで内地に引き揚げて来られた。

この叔父は、弁護士の資格もあり、商才もある人だった。笑う顔はとても柔和で、優しかった。

引揚車で、博多駅に下り、千代町まで歩いてきて、一面焼け野原となっている中で、明日からの住いはここに決めようと思われたそうである。

それから日田の私達の家に来られた。家族三人着のみ着のままだった。

「千代町の焼け野原の中に、バラックを建てて、住みたいと思うので材木を出してくれ」、と頼まれた。

私達もこの頼みには、すぐ賛成し、早速材木を積み、現地に運んだ。

「元の土地の所有者がいるはずだから、文句が出て立ち退きを命ぜられることになったら困りますね。」

夫は不安そうな顔で言った。今は焼土と化して、何もかも分からなくても、きっと後でいざこざが起こりはせぬかと心配した。

「心配いらぬよ。その段位なれば買い取るつもりだ。市がそこまで手が打てるようになるには、随分期間を要するだろう」、と法律のことに詳しい叔父は、早く建てたものが勝ちと言わぬばかりに案ずる風もなかった。

叔父の言った通り、二年後位に安い土地代のようなものを支払ったと聞いた。その後、バラックは、本建築に建て替えられたが、バラックを建てた時の木材とその必要経費は夫の寄贈であった。