山の声 仏壇を作る

2014年01月14日

夫の叔父山下善助氏は、代々の仏壇屋だった。

優れた彫刻の技術は、京都方面にも知られていた。

善助の屋号も、先祖から続いている。

当時は六十歳で下広川が住居である。

いつもきちんとしておられ、親戚で法要などの時は、この叔父さんだけは、
紋付羽織に袴と白足袋をはいて来られた。

私たちも家が出来たし、仏壇をあつらえようと話し合い、この叔父に一任した。

仏間もあったので、この仏間に合う仏壇をということで、詳細に注文は付けなかった。

金額の点でも細かく話し合わず、善助の名において一世一代の仏壇をと、夫は言ったそうである。

半年ほどたって、仏壇は出来上がった。

出来上がった仏壇は大きく、彫刻も手の込んだ出来栄えだった。

私も金持ちの所に、山買いに行った時は、よく仏壇にお参りしたが、どこも立派な仏壇を持って居られた。

しかし、我が家のは、流石に立派だった。

出来上がった仏壇の価格は、当時一軒の家を新築出来るほどの価格だった。

仏壇開きをすることを思い立ち、世念寺の住所や親戚に来てもらい、供養していただいた。

寿江美の四年生の頃の日記だったと思う。

四~五年前に何か探し物をして、出て来たので無造作に開いたところを読んだら、

「いつも百点もらって来るのに、お母さんは当たり前のような顔をして、少しも喜んでくれない」
、という記事が目に付いた。

私ははっと胸につかれた感じで、子供たちをあまり、構ってやれず、
淋しい思いをさせていただろうことを、しみじみ追想したことである。