山の声 夫病む

2014年01月14日

五十八年ころより、夫の神経痛はひどくなった。そのうち、リュウマチを併発し、次第に歩行が困難になった。

及川病院に四、五日おきに通い、膝から水を抜くことを繰り返した。

病院の往復のタクシーの乗り降りも、時間がかかり、運転手は良い顔をしなかった。

夫の大きな体を支える私も、次第に疲れるようになった。

或る時、こんなこともあった。自宅の廊下を夫の肩を支えて、玄関まで来る時、私がつまずき、二人とも廊下に倒れた。私が下になり、その上に夫が倒れたので、すぐ起き上がれず、やっと這い出して夫を引き起こした。かなり時間がかかったと思う。

怪我はなかったが、二人とも倒れたまま、笑い出した。

医師の勧めで、一ヵ月ほど二回にわたり入院もした。退院すれば、また悪くなった。このような生活を続けていたら、二人とも駄目になると思うようになった。

市に養護老人ホームのあることを思いつき、私は福祉課を訪ねた。ホームでは、リハビリもしてくれると聞き、入園できたら少しは快方に向かうかもしれぬと思ったのである。

入園の希望を話すと、

「今福岡市に、五つほど特別養護ホームがあるが、どこも満員で、ベッドが空かないのです。だから、自宅で待っていてください。」

と、市の福祉課の係りの人は話した。

このようなホームでは、死亡しなければ、ベッドは開かない訳で、寝たきりで十年、二十年の入園者も多く、簡単に入園できぬことも納得できた。

しかし、私の体力も限界に来ていたので、望み薄ながら、“花畑”や、“いじり”のホームも直接自分で訪ね、お願いもしたが、どこもすぐ入院できるわけではなかった。

福祉課には、何度の何度も通った。知人を頼り、市役所の上司の方からも、頼んでもらった。

二ヶ月ほど経ったところ、

「悠生園に、今ベッドが一つ空いたが、どうします?少々遠いけど、それでよければ手続き取りますよ」

と、福祉課から電話があった。

「是非お願いします。遠くても構いませんので、すぐ手続きを取ってください。」

私は即座にお願いした。

夫は入園を喜びをしなかった。

「兎に角、リハビリを続けて、快くなって帰ってください。」

と言い含めたので、夫もどうやら納得した。