横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

我が家の家建ては、山から杉の木を切り出すことから始まった。
つい一年前のことである。それは小人の行進で書いた。

切り出した木は依頼していた大工さんに引き渡して、一旦終了。
次にやったことは、家の基礎づくり。
土地の測量から始まり、基礎打ちは業者に委託した。
しかし、何本かの重要な柱を載せる束石は家族の力でやった。
束石のためのコンクリートを作り、レンガとコンクリートで作っていく。
はじめに作った束石は、一片70センチもの大きなもので、大工さんに言われた。これは立派すぎる。精々一片30センチもあれば十分だと。

中学二年生の私は全てが初体験。

こうして、基礎ができた時点で、大工が入り、柱を組み上げて、少しずつ家の形ができて行った。
新築の棟上げ式で祝ったのちは、ドンドン家の形ができていく。
屋根ができ、瓦を載せるといよいよ家である。
瓦を屋根に上げるのも家族総出。
瓦業者が来るが、その人夫は我が家の方が多い。
下から、ドンドン、屋根を上げる。
もう手馴れたものである。
そして、壁作り。
当然、それも親父がやる。
親父の手さばきは実にうまい。
啓一兄もやるが出来栄えが、正直言って悪い。
「啓一のやる事は、いつも荒っぽい」、と言いながら親父がその上から仕上げていく。
その横で、久夫兄は私に目で合図する。
「また、あの二人、やっている」、と。

こうして日曜日毎に作業があり、昼飯はいつもおにぎりにたくあん。
これが実にうまかった。
そして、この時が家族一丸だった瞬間である。

ある程度、壁ができ、窓が入るといよいよ、新築に移動する。
久夫兄、かずえ姉と私は当然の様に二階を陣取った。
啓一一家は奥の仏様のある部屋だったと思うが、正直言って、はっきり覚えていない。

一方、親父は、やはり、自分の爺さんが松獄山の家を分解し、組み立て直したその古い家は絶対に残したいと思ったのであろう。
そこで、古い家の建て直しを始める。
古い家の床を高くし、新しい家と繋げるのである。
しかも、家を少し床を高くした上で、北のほうに移動しなければならない。

これは神社の移動の写真、多分これと同じ方式だっただろうと思う

そして、まず、古い家を分解する事から始めた。
屋根から瓦を下ろし、壁をはぎ取り、柱だけにするのだ。
そうした上で、腐った柱は新しいものにしていく。
この作業には一切、専門の大工の手を借りず、親父とそのグループが担当したのだ。
そして、そこには柱だけの家が建っていた。
その柱の下に必要な数のジャッキを使い床を上げ、、1メートル以上北に移動するのだ。
親父は水準器を持って各ポイントに走り、やれ、
「啓一の右のジャッキを上に5センチ上げろ」、
「次は久夫のジャッキを5センチ」、と言った具合に次から次へと大声で指示を飛ばす。
みんな真剣勝負である。
こうして、全体を50センチ上げていくのだ。
この作業が終わると、次は家全体をコロで動かしていく。
実際、その動かし方までは私の記憶にない。
細心の注意を払って移動させたのだ。
この時は一人でも人夫の多い方がいいので、秀夫兄も応援に駆けつけたと思う。
朝からこの作業を続け、この作業が完了した時はもう日が暮れていた。
実に家族総出の棟上げであった。
私は、この時の棟上げの瞬間が忘れられない。
みんなの顔は汚れていて、しかも、みんな達成感から自然に拍手と大笑いである。
この時は、みんな生き生きしていたのだ。

そして、板を打ち付け、屋根に瓦をはり、家の形ができたのが多分1ヶ月以上先のことだったと思う。
そして、この古い家には啓一兄家族が住むことになっていた。
当時、一彦君は六歳くらいであったろうか、古い家と新しい家を行ったり来たりして喜んでいたことを思い出す。

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