横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私の人生を変えた人 18 サービスは誰がやるのか?

後進国向けの売り上げが伸びない。なぜだ❓ と、いつも市販グループは迫られる。 分かりきってる話。 高額診断装置は売ってはいけないからだ。 仮に受注できそうな案件があっても、その装置のサービスは代理店でできるのか❓ こんな議論がずーっと続いて …

私の人生を変えた人 その17 ピラミッドが私を呼んだ

エジプトにはLakah(ラカー)という男がいた。 初めて、この男に会ったのは、ベルギーで開かれた世界放射線学会(ICR)の時。多分、1982年だったのではないかと思う。 学会に併設の展示場に体の大きな男が3人現れ、私に近づいてきた。 「あな …

私の人生を変えた人 その16 中国からの国際電話

ある日、国際電話がかかって来た。中国からである。 どうも、どこかの秘書がかけて来た。 彼女はボスが三ヶ月に日本に行くが会ってくれるか?と聞いて来たのだ。色々聞いてみると、シーメンス Chinaのベジェレという男が、私に会いたいと言うのだ。 …

私の人生を変えた人 その19 東芝ココム事件が勃発

いよいよ、オーダーエントリーシステムが完成するので、私は営業復帰することになった。 ところが、東芝ココム事件が起きてしまう。 この事件の概要は以下のとおり。 東芝機械は伊藤忠商事とダミー会社の和光交易を通じて、1982年12月から1984年 …

私の人生を変えた人 その18 オーダー エントリー システム

私が、フローチャートを描き終わるのに半年近く掛かった。 私は工場で働いた経験と海外営業の経験とコンピュータの知識を持っていた為、海外からの注文が入り、それを工場に手配し、出来上がった装置を工場から出荷し、船積みする一連の作業を分析出来たのだ …

私の人生を変えた人 その17 何もしない業務担当主任

私は業務担当主任になった時、心ない連中は、業務担当は残業せずに定期の時間に帰れていいなあ、と近寄って来て皮肉を言う。 一般的には、北米担当は花形のポジションで、業務は用無しポジションであった。 当時の業務の主な仕事と言えば、販売見込みの集計 …

私の人生を変えた人 その16 最悪の北米担当

初っ端から、星川とやり合ってしまったが、その後は、星川の方が私に対し、距離を置くようになった。 北米の仕事は面白くはなかったが、各種の展示会で色々な都市に出張出来たことには感謝している。 中でも、1981年サンフランシスコでの世界産婦人科学 …

私の人生を変えた人 その15 東芝の国際化が大きく変わる

私が北米担当になった時は、最悪の状態だった。 当時、第二輸出部という名称が第三国際部に変わった。 理由は、東芝が本気になって国際オペレーションになりだそうとしたからである。 そこに多くの国際経験のある有能な人々を集めたのだ。 第一国際部が電 …

私の人生を変えた人 その13 上智大学で勉強

ベネズエラの出張から帰り、直ぐに上智大学の門を叩いた。 ベネズエラのDRにスペイン語で捲し立てらた時のショックは忘れられなかったのだ。 担当地域の言葉が喋れなければ営業なんて出来る訳がないと痛感したからだ。 上智大の受付に、 「スペイン語を …