病気を楽しく生きる

temari_topフランスのノーベル賞作家のアナトール・フランスが書いた随想録『エピクロスの園』の中に、次のような話がある。

・・・・・グレピネ先生が教室で、『人と精』という寓話を読んでくれた時、私はまだ10歳にもなっていなかった。とはいえ、私はあの寓話を昨日聞いたよりもはっきりと思い出す。
ある精が一人の子どもに一つの糸毬を与えて言う。《この糸はお前の一生の日々の糸だ。これを取るがいい。時間がお前のために流れて欲しいと思う時には、糸を引っ張れるのだ。糸毬を早く繰るか永くかかって繰るかによって、お前の一生の日々は急速にも緩慢にも過ぎてゆくだろう。糸に手を触れない限りは、お前は生涯の同じ時刻にとどまっているだろう。》子どもは糸まりを取った。そしてまず、大人になるために、それから愛する婚約者と結婚するために、それから子供たちが大きくなるのを見たり、食や利得や名誉を手に入れたり、心配事から早く開放されたり、悲しみや、年齢とともにやってきた病気を避けたりするために、そして最後に、悲しいかな、厄介な老年にとどめを刺すために、糸を引っ張った。その結果、子どもは精の訪れを受けて以来、4ヶ月と6日しか生きていなかったという。

病気になると、私たちは早く病気が治ってほしいと願う。しかし、そのように願うと、私たちは病気の期間を人生の空白期にしてしまう。そして、病気が治ってから人生を生きようと考える。あるいは、大学入試に失敗した浪人の期間を「空白期」と考える。だが、そんな考えでいると、我々の60年、70年の人生が、アナトール・フランスの言うように4ヶ月と6日になってしまう。

私たちは、どんな状態にいようと、自分のその人生をしっかりと生きるようにすべきだ。たとえ、病気になっても、病気をしっかりと楽しみながら生きるようにすればいい。病気を『空白の期間』にしてしまっては、人生がそれだけ短くなるのである。

病気になれば病気を楽しく生きる。逆境にあっては逆境を楽しみながら生きる。そのような生き方が仏教の言葉で言う、
---中道---
だと私は思っている。