愛語とは?

ryoujin曽我量深(そがりょうじん)は明治8年に生まれ、昭和46年に没した近代の仏教学者であった。

曽我量深が言った言葉に次のものがある。
「言葉のいらぬ世界が仏の世界、言葉の必要なのが人間界、言葉の通用しないのが地獄」

人間の言葉は、ある意味では厄介なものである。それは、どうしても誤解を避けられないからである。

動物にも言葉はあるという。彼らの言葉は情報伝達のためだけに使用されていると言われている。
「敵が来たぞ!」「あそこに蜜がある」といったようなものだ。

したがって、誤解を生むことはない。

しかし、人間の言葉は単に情報ばかりっでなく、意思や感情を伝えなければならない。しかも、自分にもはっきりしない感情を伝えなければならないのだから、誤解が生じて当然である。

そして、その誤解が前面に出過ぎると、曽我が言っているように言葉の通用しない地獄になってしまう。私たちは互いに憎み合い、いがみ合い、罵りあわなければならない。この世が、暴力と恐怖と不安が渦巻く世界になってしまう。まさに、地獄である。

一方、仏の世界においては、言葉は要らない。仏の世界は「以心伝心」という言葉がピッタリの世界であって、そこでは言葉無しで分かり合える世界である。

その仏と地獄の中間にあるのが人間の世界である。
だから、我々の住むこの世界を地獄にしないためには、言葉が必要なのだ。もちろん、その言葉は、お互いに分かり合えるための言葉であり、赦し合える言葉、喜びを分かち合えるための言葉でなければならない。仏教の用語で言えば、それは、「愛語」である。

温かい心のこもった言葉こそが我々の世界には必要なのだ。