極楽浄土に帰る


1212年1月25日、浄土宗の元祖の法然上人は入寂された。

「南無阿弥陀仏」とお念仏をしながら、眠れるがごとくこの世を去って逝かれた。
80歳であった。

法然上人が病床に就かれた時、弟子が質問した。
「極楽往生は確かですか?」
真に無礼な質問だが、法然上人は、怒ることなく静かに答えた。
「われもと居せし所なれば、さだめて極楽へ帰り行くべし」
(私はもともと極楽浄土にいたのだから、きっとその故郷のお浄土へ帰っていくだろうよ)

我々はみんなお浄土からこの娑婆世界に来ている人間である。
我々はこの娑婆世界では「凡夫」と呼ばれる存在であるが、我々の故郷はお浄土であり、本籍地は仏の国だ。

本籍地から言えば、我々は仏の国の人、即ち仏の子である。
法然上人はそう考えておられたのだと思う。

だとすれば、 「南無阿弥陀仏」のお念仏は故郷に居られる我々の親である阿弥陀仏に掛ける電話ではないだろうか。
「もしもし、阿弥陀父さん、私は今娑婆で元気にやっていますよ」
そのように報告する電話が、つまりお念仏である。
そう考えると、お念仏の意義がはっきりするし、またお念仏が唱えやすくなるだろう。

そう考えると、故郷への電話はできるだけ頻繁に掛けた方がいい。
阿弥陀仏は子供の声を聞くのを楽しみにしているからだ。
また、時には、無心の電話を掛けることもある。
悲しい時、苦しい時、「お父さん、お母さん、助けてよ」といった電話を。
そんな電話でも、阿弥陀仏はきっと喜んでくれるでしょう。