わしは地獄に入る

jousin『ガリバー旅行記』を書いた風刺作家のジョナサン・スウィフトは、アングリカン教会の聖職者でもあった。

彼はある時、信者からこんな質問を受けた。

「ヨナはどのようにして、巨大な魚の腹から出ることができたのですか?」

ヨナが巨大な魚にのまれて三日三晩腹の中で過ごしたことは。『旧約聖書』の「ヨナ書」に書かれている。

「いや、私は知りません」と、スウィフトは答えた。
「しかし、私が天国に行った時、ヨナに聞いてみましょう」
「でも、もしもヨナが天国にいなかったら・・・・・」と、相手はしつこく訊ねた。
だが、スウィフトはこう切り返した。
「その時は、あなたが訊かれるといいでしょう」

ヨナが天国にいないということは、ヨナは地獄にいるわけだ。
おまえさんは地獄に行くのだから、その時はおまえが問えばいいじゃあないか。スウィフトは相手をからかっているのだ。

趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)と言えば、中国、唐の時代の偉い禅僧である。

その超州のところに、崔氏(さいし)という政府の長官がやって来て問う。

「立派なお師家様でも、地獄に落ちることはありますか?」
「老僧は末上(まつじょう)に入る」と、趙州は答えた。わしは真っ先に入るよ、という返事。
崔氏はびっくりして言う。
「立派なお師家様が、どうして地獄に堕ちるのですか?」
「わしがもし地獄に入らなければ、どうして、あなたと会うことができようか?」

それが超州の答であった。

超州にとって、地獄は単に死後の世界ではない。もちろん、死後の世界でもあるが、同時に現実のこの世界が、超州にとっては地獄なのだ。そして、この地獄において、彼は衆生教化の仕事をやっている。

わしがこうやって衆生教化をやっているから、おまえさんに会って仏法を説くことができるのだ。

この世に迷える衆生のある限り、わしはこの世で衆生を教化する。この世が地獄であれば、わしは今地獄にいるのだし、来世も地獄にいる。趙州はそう語っているのだ。