横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私の人生を変えた人 その14  北米担当

私の人生を変えた人 その14 北米担当

突如、中南米から北米担当に変わった。 折角、スペイン語も上級クラスまで行ったところで、方向転換。 今度は英語を本格的に勉強しなければ、仕事にはならない。 アメリカ人の英語は速すぎる。 初めてロスアンゼルスに着いた時は、空がカラッと晴れてとて …

私の人生を変えた人 その13  上智大学で勉強

私の人生を変えた人 その13 上智大学で勉強

ベネズエラの出張から帰り、直ぐに上智大学の門を叩いた。 ベネズエラのドクターにスペイン語で捲し立てらた時のショックが忘れられなかったのだ。 私は担当地域の言葉が喋れなければ営業なんて出来る訳がないと痛感したからだ。 上智大の受付に、 「スペ …

私の人生を変えた人 その12  本当にまいった出張

私の人生を変えた人 その12 本当にまいった出張

中南米、特にブラジルを担当して四年経った頃、ベネズエラで問題が起こった。 二年前、ベネズエラで東芝の医療機器を販売したいという会社が現れ、独占販売契約を交わし、ビジネスをスタートさせたらしい。 この会社は、ベネズエラで薬の販売をしていた会社 …

私の人生を変えた人 その11  超音波診断のデモンストレーション

私の人生を変えた人 その11 超音波診断のデモンストレーション

私が輸出部に移って一年後あたりから、世の中には超音波診断、取り分け産婦人科分野では胎児の発育を診断するのに有効だと言われ始めた。 また、肝臓、胆嚢、膵臓を診断する技術も進んで行った。 心臓や血流の診断も同様であった。 そんなある日、医用機器 …

私の人生を変えた人 その10  土光敏夫さんとミーティング

私の人生を変えた人 その10 土光敏夫さんとミーティング

ブラジルの大川社長には二度とブラジルには来ないと言ったものの、やはり、そうはいかなかった。結局、延べ回数では8回位行ったことになる。 その内の一回がとても印象的なものとなった。 私がブラジルに入った時は、当時の経団連会長の土光敏夫さんが、国 …

私の人生を変えた人 その9  初めての海外出張

私の人生を変えた人 その9 初めての海外出張

それから2ヶ月後に私はブラジルに飛んだ。 ブラジルに行くには当時、アラスカで給油の為に降り、一時間休憩。それからニューヨークへ向かう。ニューヨークでは4時間位待ってブラジルのフライトに乗り換え、リオデジャネイロ経由でサンパウロに降りた。丸二 …

私の人生を変えた人 その8  初めての提案

私の人生を変えた人 その8 初めての提案

私が初めてブラジルに行ったのはブラジル担当をして、ニ年後のことである。 たまたま、その年の四月、元江商の人が部長として我が部に入ってきた。江商と兼松と合併した際に多くの江商の優秀な人が東芝に入って来たと言う。 東芝は、私の時も、入社社員数の …

私の人生を変えた人 その7  こんな男が東芝に居た!

私の人生を変えた人 その7 こんな男が東芝に居た!

ブラジルで医療機器を売る際に、シーメンスやGEの競業他社はファイナンス付きを始めたという話が飛び込んで来た。言い換えれば、割賦販売である。 アメリカやヨーロッパや日本では当たり前の話だが、ブラジルのように、インフレ経済で、ブラジル通貨のクル …

私の人生を変えた人 その6  怖い経験

私の人生を変えた人 その6 怖い経験

事業部長が私に話をしてくた。 どうも、ポーランドのビジネスは受注出来なかったようだと。 そして、まもなく、私は工場に戻らず、輸出部に残り海外営業をやることになった。 担当も南アだけでなく、欧州向けのサービスパーツの出荷の担当となった。 する …

私の人生を変えた人 その5  事業部長の一言で

私の人生を変えた人 その5 事業部長の一言で

私の周りの多くの先輩は、私のことを心配してくれて、色々アドバイスをくれた。例えば、 もう、エンジニアには戻れないかもしれない。だから、断れ、とか。 ポーランドに行くんだぞ。俺なら行かない、とか。 彼らから見れば、上からの命令で、私は犠牲者だ …