横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

迷えば凡夫

迷えば凡夫

江戸中期の石門心学者に手島堵庵(てしまとあん)がいる。 京都の商家に生まれた堵庵は18歳の時、石田梅岩について心学の修業を始め、20歳で開悟した。 その堵庵の教えは、 ――私案なしの説―― と呼ばれている。 私案なしというのは、我々が何かを …

石は沈み、油は浮く

石は沈み、油は浮く

釈迦の所に一人の男が来て、こんな質問をした。 「バラモンたちが言うには、俺たちがご祈祷すれば、死者は天界に生まれ変われる。本当だろうか?」 、と。 バラモンとはインドのバラモン教の僧侶である。 その質問に、釈迦は直接答えず、逆にその男に質問 …

人を殺せと言われたら

人を殺せと言われたら

ある日、親鸞が弟子の唯円に尋ねた。 「そなたは私の言うことを信じるか?」 唯円は、「もちろんです」 と答えた。 この唯円は「歎異抄」 を書いた人である。 親鸞はさらに続けた。 「それでは、そなたは私の言うことに背かないか?」 もちろん、唯円 …

瓦を磨いて鏡にする

瓦を磨いて鏡にする

中国唐の時代に有名な禅僧で馬祖道一(ばそどういつ)がいた。(708年に生まれ、80歳で没す) この坊さんは、「虎のごとく見、牛のごとく動く。舌を伸ばせば、鼻の上までのばし、足の裏には紋があって字を書く」 と言われていて、実に魁偉な容貌だった …

バクシーシの論理

バクシーシの論理

インドに行けば、「バクシーシ」と言って手を出してくる。 もともとバクシーシとは、ペルシャ語で、「与える」という意味である。 トルコ、エジプト、インドでは、「チップ」という意味で使われているようだ。 インドやアラブの世界では、 ―――金持ちは …

連帯意識のお念仏

連帯意識のお念仏

1117年、僧の良忍が一心不乱に念仏を唱えていた。   そこに、阿弥陀如来の示現があった。偈(げ、とは、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの)を感得した。 「 一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行」 …

わが糧、すでに尽きたり

わが糧、すでに尽きたり

「道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心無し」 これは我が国天台宗の開祖の伝教大師最澄(767 ~822)の言葉である。 最澄の教団は非常に貧しかった。 平安初期の僧たちは基本的には国家公務員であり、エリート中のエリートであった。 身 …

二人の死に方

二人の死に方

臨済宗妙心寺の開山である関山慧玄(かんざんえげん・・・1277~1360年)の最期は、こうであった。 彼は長らく病床にあったが、或る日、 「どうやらお迎えが参ったようじゃ」と言って、自ら旅支度をして、杖をつきつつ寺を出て行く 。弟子たちに見 …

浜までは海女も蓑着る

浜までは海女も蓑着る

一人の禅僧が庵に悠々自適の生活をしていた。 その恬淡たる生きざまを慕って一人の雲水が庵を訪ねてきた。 「あいにく風邪をひいていて、今から薬を取りに行くところです。直ぐに戻りますから、拙庵でお待ちください。」 そう言い残して禅僧は出て行った。 …

嘘も方便

嘘も方便

昆虫採集を趣味にしている人が山岳部の連中と一緒に山に登った。 彼は、山に登りながら昆虫採集に動き回っている。 運動量は彼のほうがはるかに大きい。 しかし、面白いことには、山岳部の連中のほうが先にバテテしまったという。 これは、山岳部の連中は …