横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

思春期の転向

思春期の転向

大正10年の春、高等小学校を卒業した。 今頃風に言うと、満14歳の春で中学校3年生になったばかりである。 当時、中学校(今の高校)へ進学するものは裕福な家庭の子供ばかりでクラスで2割もなかった。 また、高等小学校も義務教育ではなく、尋常科6 …

親父と俺 その8(最終回)

親父と俺 その8(最終回)

日清・日露戦争の余勢をかってドイツと一戦を交えたが、一方、経済状況が奮わず、緊縮財政が続き、モラトリアム等の施策がとられたのもこの当時だった。 従って、鉄道も人員整理、列車本数削減、単位列車の車両数減の対策が打たれていった。 スピードアップ …

親父と俺 その7

親父と俺 その7

教習所を出ると、翌日から下関機関区に転勤し、合宿生活が始まった。休日には必ずと言っていいほど家に帰った。 給料支給後、親父に20円渡すと、「肥料なしの米4俵が買えるから家計の支えとなる」と言って喜んでくれた。「だから、無駄遣いはできない」と …

親父と俺 その6

親父と俺 その6

俺の学生時代のドーカンは目に余るものがあり、通学途中、川に板を流し、米つき水車の水羽根に板をせり込ませ大きな水車が止まるのを見て知らぬ顔。 ある時は、文句を言われた腹いせに植えたばかりの稲田を走り抜け、得意満面。 また、ある時は水車に石を投 …

親父と俺 その5

親父と俺 その5

ここで一つのエピソードがある。 自分が卒業した年の秋、天神祭で叔父の善治郎さんの所へ泊まり、翌日昼頃、帰宅したところ帰りが遅いので、俺が先の酒造違反による罰金を気にして家出したのではなかろうかと親父は心配したそうだ。 この密造事件というのは …

親父と俺 その4

親父と俺 その4

早速、翌日から欠勤、さあ親父の気の使い様は一通りではなかった。傷つきやすい青春期の俺に対し、ドーカドーカと言うので事情を話すと、すぐに了解してくれた。そして、師弟契約は実働10日くらいでピリオドとなった。 何の抵抗もなく師弟解消とはなったも …

親父と俺 その3

親父と俺 その3

何故、このように儲からない保証人に判を押すかというを考えてみると、人間には威張る気とカサ気のないものはないと言われる様に、知人が平身低頭で頼みますと言われるものなら、「ヨシ、俺が」と、町議か町長になるのと同じ気持ちで、俺の印判があれば金が借 …

親父と俺 その2

親父と俺 その2

自分の言う「和」は平和で仲良く事なかれ主義ではなく、お互いは一人で生活で出来るものでなく、常に凡ゆる人に支えられて、助けられて日常生活が営まれるものである。 即ち、食うためには、百姓や漁師の世話になり、手紙を出せば、何人かの手を潜り、20円 …

親父と俺 その1

親父と俺 その1

親父は明治8年1月生まれと言うから、私は算術計算で32歳の時の子である。 自分には姉があり、兄があり、本当は次男であるが、兄茂作は生後間もなく死亡したので、佐藤家嫡子は生まれながらに約束せられたのである。 また、弟には満、亀次、八郎、音熊、 …