横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

律子さん

律子さん

昭和二十一年に、お手伝いに来てくれた律ちゃんは、とても野菜作りの名人で、工場の裏の畑に何でも作った。茄子も胡瓜も里芋も、とてもよく出来た。 律ちゃんは母親を亡くし、叔父さんの養女となり、その義母もなくしたりで、苦労も多かったと思う。子供たち …

敗戦

敗戦

昭和二十年の八月、突如詔勅が下がり、終戦を迎えた。 国民皆大きなショックを受けた。勿論、敗戦の悔しさはあったが、兎に角、戦争は終わったという、ほっとした気持ちもあった。 しかし、一方では、アメリカ兵が上陸して来て、女や子供はむごい目に遭うと …

義父の死

義父の死

義父は二月のころから、胃が悪いと言い、近くの医院から、薬をもらって飲んでいた。それでも、次第に食欲がなくなり、衰えていった。久留米医大に診察に行くよう、みんなで勧めても、本人は大したことはないと言って、診てもらうことを拒んだ。 「どうも普通 …

太平洋戦争

太平洋戦争

昭和十六年から太平洋戦争となり、世はまさに戦時中だった。 昭和二十年5月に、三女澄江が生まれた。 この子は、胎内の時からよく動いていたので、男の子と思っていたくらいだった。勿論、男の子がもう一人欲しいとも思っていた。 戦争も長く続き、食料も …

捨てる神拾う神

捨てる神拾う神

無一文になった私たちは、これから先ずどんな方法で行こうかと話し合っていた。その時、私たちの仲人だった野中のおじさんが、 「おれの杉を伐採せんか。代金は製品を売り上げた分だけ分納すればよかけん。」 と言ってくれた。 私たちにとってこの話は、“ …

夫の復員

夫の復員

昭和十五年の春、夫は復員してきた。 私がホッとしたことは、言うまでもなく、まずは双方の無事を喜び合った。 一週間ほど経ち、疲れも取れた夫は、まず熊本の山を見に行くことになった。夫は熊本でも宮崎でも、山の地理は詳しいので、地図を描き地名が分か …

肥後の山

肥後の山

昭和十四年には、熊本県に大きな杉山を買った。価格は三万五千円だった。 今から差し詰め、二、三千万円の山だろう。 福岡の金川材木店から、三万円を借用した。借用した金の返済には、素材と製品を、送り込むことで契約した。 夫もいないのに、そんな大き …

長女出生

長女出生

私には自分の時間などはなく、モンペははき通し、髪は梳(くしけず)るだけ。顔にクリームなども塗らぬ日が多かった。鏡に向かっている時間もなかった。朝から働き通しだったからである。一体どんな格好をしていたのか、誰が見ても女らしさなどなかったに違い …

山は商品と違う

山は商品と違う

おおむね山の売買には、仲買人が居て、特に高額の山になると、その世話料もばかにならない。 山主と商いの交渉は、長引けば一年も二年も掛ることもあった。昭和十五,六年でも、山代金は高額だった。 山主が売る意思があれば、山の調査をし、価格の交渉に入 …