山の声 夫逝く

2014年01月14日

夫逝く

寝たきりになって、三年目頃から、夫はあまり話さなくなった。多分言語障害が来ているのだろう。

私が帰り支度をしていると、いつの間にかスカートを、しっかりつかんでいたこともあった。帰したくなかったのだと思う。

「また、あした来るからね。」

と言いつつ急いで、部屋を出たものである。

亡くなる二、三日前から、夫は呼吸困難になり、身近な人々に通報したので、一応親族は皆来てくれた。

夫の安らかな時は、私はいつも言っていた。

「言葉には言えなくてよいから、心の中で、南無阿弥陀仏と唱えなさい」、と。

私は和紙に南無阿弥陀仏の名号を書き、それをこよりにして、水を含ませ、臨終の夫の口を何度も拭いた。仏の導きがありますように、と念じながら。

娘たちに看取られて、夫は静かに息を引き取った。

看護婦さん、寮母さん達も、最後まで一所懸命して下さった。

心から私達は感謝している。

木材に生きた夫にふさわしく、大樹院の法名をいただいた。

享年八十歳だった。

隅田浦を去る

山林の斜面(なだり)きびしき隅田浦 いくつきかけて夫拓きたり

どの道を行くも坂道風致地区 その一点にわが住居せし

終の棲処と思ひゐし棲処手放すと 草木はらひて杭を打たしむ

一枚の紙切れの中に消えゆけり 二十年を住みしわが家

「よく思い切りましたね」と人の言ふ われの思ひは千夜を経たり

旧き物小さく積みて老いの世帯 運ばれゆけり常通る道

移り来し老後のわれの小世界 窓より見ゆる広き人の庭

この人の頭上に住むと思ひつつ その戸に立ちて挨拶をする

開きゆくハイビスカスの一輪に 一人の部屋のあした華やぐ

一遍上人の境地にはるか遠けれど 窓開け放ち寝ぬる気易さ

回覧板まはす束の間 会話することもなくして隣は遠し

花咲ける日々を流転の過去として 街の一隅に老いを養ふ

首夏の日の日暮れはながし残生の いまどのあたり生きゆくわれか