激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


南アメリカから送金すると、日本の円の価値が低く、送金しても目減りしたという。これではいつまで経っても、借金返済はできないと父は思い、どうしても円の高い、北アメリカ合衆国に、移らねばと思い始めたそうである。

当時の一ドルは二円五十銭位、一円はペルーの金で、二円から三円だったという。

さてアメリカの北と南の国境は、警備は厳しそうだが、国境さえ越えれば、後は何お調べもなかったという。

ある日父は、従兄弟のいるカニエテ州に行って一緒に北米に入国しようと、すすめたそうである。しかし、従兄弟には乳飲み児がいて、動けなかったらしい。

それで、ある月の明るい晩、父は友人二人と何も持たず、警備の目を逃れて、砂漠を夜通し走り続けたそうであ。

これは父から母に宛てた手紙に、書いてあったことだが、日本刀を振りかざして、自分たちの後から追ってくる、それを必死に逃げた心境だったと書いていた。

父からの手紙は、母は全部保管していた。成長した子供たちに、読ませるつもりだったらしく、私もある時全部それを読んで、父の家族に対する思慕、子供に対する愛情を、知ることが 出来た。家族と離れ、異国で働かざるを得なかった。父の真情も汲みとれた。