激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


私の七十六年の生の記録をまとめてみた。

私の一生は、起伏の激しかった夫によって左右された、転変の歩みである。

 夫は山に魅せられ、木材に生きた人である。死の際も、アラスカの原始林を幻覚に見ていたほどである。

 事業欲が人一倍強く、絶えず何かを求めて、それに挑戦し、スリルを味わうかのように思えた。そのために私は、いつも戸惑い、振り回されてばかりいた。そして心の休まる暇もなかった。

 結婚数年の後、夫が出征し、止む無く私も、木材業の第一線に、立つこととなり、山の男にまじって、死に物狂いの生活もした。

 結婚生活五十余年間に、二回裸一貫となり、その間に差し押さえも、競売も経験した。そして八回の転居を繰り返し、4人の子を生み育てた。

 山を求め、木材を捌く ( さばく ) 生活の中で、昭和二十五年頃、大きな問題のある山に、乾坤一擲 ( けんこんいってき ) の運をかけた。運よく成功して、巨万の富を手にしたが、それを生涯持ち通すことが出来ず、晩年に向けての夫は、事業運に恵まれなかった。

 私達が材木屋だった時代は、特に地方では、花形産業の一つであった。大きな金が動くからである。

 夫は三山をかける毎に、道路を作り、橋を架けた。それも自費なので、金の流出も少なくなかった。

 今私は、五十三年の結婚生活を、回顧している。あっという間のように思えるがが、大変長いことのようにも思える。

 以前から私の友人は、「あなたも自伝を書いてみたら」とよく言っていた。然し、私が人より少し苦労した位で、自伝を書くのも、おこがましいと躊躇 ( ちゅうちょ ) していた。

 この度、小倉文化部の呼びかけもあり、来春は喜寿を迎える節目として、私の七十六年の生の記録をまとめてみた。