激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


祖母フサは大変な信仰家だった。仏教の話はお坊さんに負けぬくらい知っていたので、近所のおばあさん達は、毎晩のように来て、信心の話を聞いていた。

祖母は字が全然読めないのに、聞き覚えで、一時間でも二時間でも親鸞聖人の経典を引用して話していた。

この祖母は後添いで、若いときは久留米藩の奥向きに仕えていたこともあったらしく、衣装櫃は黒の漆塗りに金の蒔絵のある飾りの金具がついており、御殿にあるような立派なものを持っていた。

そのころの田舎の老人にしては、おしゃれで毎日、美身クリームを塗っていた。風呂からあがる時は、決まって水を方から何倍もかけていたからかも知れない。若い時の茶色っぽくなった写真を見ると歌麿の美人画を見るような出来栄えだった。

父とは血もつながってはいない祖母だったが、母はよく姑に尽くしていたと思う。

祖母の機嫌のいい時は、

「ハツさんがよくしてくれる」

と誰彼となく話していた。