激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


大名校に、格好の売舗があったので、随分考えた末、買い取った。価格は備品とも、百六十二万円だった。少し、改造して、割烹の店にした。

親戚の美代子さんに手伝ってもらった。この人は料理が上手だったから、お客さんの評判は良かった。

しかし、朝は早くから仕入するし、夜は遅くなるし、その上、お酒があったので、どうしても売掛が出来て、その集金には頭を悩ました。

二階で十人位の客はできたが、そうなると、どうしても、板場さんが必要になり、暫く雇ってみたが、この商売はレストランと大分感覚が違うことを知らされた。

中洲の店も、参考のため、大分見て回った。

しかし、私には水商売は向かないと悟った。

中洲あたりで働いているママさんは金を取るだけあって、とても勉強している。話題の広いこと、客扱いに細心の注意を払うこと、自分をいつも最高の美しさに保つことなど、並大抵では、金は取れないことを痛感した。

私の仕事の様子を見て兄は言った。

「こんな仕事は止めてしまえ。お前には無理だ。その年になってそんな夜遅くまで、働く必要はないじゃあないか。」

「本当にそうね。まだ、嫁入り前の娘もいるのにこんな商売は、私には無理なようね。」

二年半ほど経過した頃、そのまま引き受けたいという人が現れたので、居ぬきで譲った。