魂に触れると、先祖の声が聞こえてくるのだ
2014年01月09日
魂に、運命の遺伝子があるとしたら、我々はそこを知りたくなるのは当然。
だから、多くの修行者は苦しみ続ける。
自分の心を無にして、本来の自分の魂に触れたいと思うのだ。
瞑想し、座禅をし、邪心を捨てて、自分の魂に触れるのだ。
そうすると、なぜか気持がよくなる。
祈りをした後、充実した気持ちを得られる。
むかし、私がサラリーマンの時、トルコに出張したことがある。
トルコの代理店の社長は、真面目なイスラム教信者。
打ち合わせ中でも、時間が来ると、お祈りに行くと言い、別室に閉じこもる。
約20分。
出てきたその社長の顔を見ると、我々がサウナから出てきたときのようなすっきりした表情になっている。
その顔を思い出すたびにお祈りの効果が理解できるような気がする。
お祈りは我々にできる初歩的な瞑想である。
無心に神にすがる。それでいいのだ。
マザーテレサの言葉に、
「お祈りは力の源である」
がある。
力の源泉は、すなわち、自らの魂に触れることである。
魂の別の言い方がある。
これが守護神であろう。
先祖の力が魂の中にある。
魂に触れると、先祖の声が聞こえてくるのだ。
「かく、生きよ。お前に力をあたえるから」