横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

60歳を過ぎると、ふと鏡に親父が現れることがある。
髪が白くなり、しかも、薄くなってきて、ああ、親父とそっくりになってきたなぁと思うのだ。
顔の長さといい、輪郭といい、間違いなく親父である。
しかし、親父を感じるのは毎回のことではない。
ふとしたことで、親父そっくりじゃん!と思うのだ。

親父は、国鉄マン(今のJRマン)で、機関士だった。
しかし、家では国鉄のことをあまり語らなかった。
ただ、本箱には、親父が若い頃勉強したのであろうと思える電気工学やら機関車の本があった。
だが、本箱の中には不思議に小説などの本は全くなかった。

家で読むのは新聞ばかりで、雑誌などは皆無。

テレビも見るのはニュースや政治やドキュメンタリーなど。
プロレスは好きだったようだが、なぜか、ボクシングは見なかった。
プロ野球や相撲などもあまり見ることはなかった。
多分、国鉄でヘトヘトになって帰ってくるので、家に帰ればビールや酒を飲んで寝るだけ。

家族の者がドラマなどを見ても、親父はほとんど無関心。
そして、時々、こう言うのだ。
「お前たち、そんなドラマがそれほど面白いか?ドラマなんてどうせ作り話じゃろうが。」とうそぶくのだ。

確かに、自分の生きてきた人生そのものが真のドラマで、作り物ではない。
親父は、その作り物が嫌いなのだ。

私が高校生の時、小説を読んでいたら、
「栄次、そんなに本は面白いか?」
と聞いてきたことがある。
「どうせ小説家が書いた作り話じゃあないか。俺は、作り話はどうしても好きになれん」といったことがある。
私はその時、特に何も言わなかった。
「ふーん」程度だった。

今から思うに、小学校に通うために、松獄山の山から下りて学校まで2時間以上掛かったという。帰りは山を登るのでもっと掛かった。
そんな子供に本を読むなんて時間などない。
家に帰ったら当然、家の仕事がある。

尋常小学校から国鉄に入ると、小学校しか出ていない親父は便所掃除などの嫌な仕事ばかり。
そこで、ある人に相談したら国鉄の中で試験があり、中学校卒の資格が取れるという。
そこで、親父は国鉄の行き帰りに勉強を始めたという。

そして、中学卒、高校卒の資格を取って行ったという。
その親父の姿を見て、爺様は山から降り、今の寝太郎に土地を借り、家を移したというのだ。

親父にとっては、自分の生き様が全てで、小説の世界などは虚構の世界しか思えなかったのだ。

ところで、話は変わるが、7月の啓一兄の葬儀で厚狭に帰った時の話。
お通夜に、秀夫兄夫婦と私が葬儀場に泊まった。
お通夜の晩と翌朝、三人で色々な話をした。
私は聞かれるままに、ブッダや弘法大師や親鸞の話をした。
私が色々読んだ本から、抜粋して話をしたのだ。
すると、突如、秀夫兄からこんな質問が返ってきた。
「お前の話は、さも、見たことのようにいうが、そんな歴史上の人物がどんなことを言ったとかやったというが、誰も見てはおらんじゃろ。司馬遼太郎が何を根拠に書いたのか? 吉川英治が親鸞を見たんか? 俺は自分で見たものしか信用せん。」
私は、その質問にこう答えた。
「歴史上の人物は、別に自分で日記を書いたわけではないが、その周りにいた人々、弟子達がそれぞれ、感動したこと、勉強したことを書き残している。司馬遼太郎や吉川英治はそれらを読んで、辻褄の合うようにまとめあげたのだ。一部は推測もあるが、彼らはパズルをやっているように、歴史的文献からパズルのパーツを探し出しているんだと思う。だから、彼らは妄想を書いているわけではない。」

こう説明した時、私はこの秀夫兄の中にも親父がいたことを知った。

 

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