横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

親父は明治8年1月生まれと言うから、私は算術計算で32歳の時の子である。
自分には姉があり、兄があり、本当は次男であるが、兄茂作は生後間もなく死亡したので、佐藤家嫡子は生まれながらに約束せられたのである。
また、弟には満、亀次、八郎、音熊、妹には繁子、節子の二人あって、合計9人兄弟である。

多産系家族は折り紙付きで、8人の子供が生まれたのも止むを得ない親譲りの表れかもしれない。

どんな親父かというと、一口に言って、義理堅い、俗にいう「内ガッタイの外ヨシ」で受けた恩は倍にして返し、家にあっては厳格そのもの。“やかまし屋”であるが、他人に対しては、「へ・・・・・」とへり下り、冗談や諧謔(かいぎゃく)を交えた受け応えで、人を笑わせ、丸みのある接客態度は我々社会生活上、大いに教えられるところがあった。

これを受け継いだのが、八郎君かな・・・・。
自分は堅い頑固な面だけ、血を引いていて丸みのある柔軟な接客態度は遠く及ばない。
しかし、自分は氏の精神を取り入れ「和」ということを世渡りの信条とし、厚狭機関区長時代の区是として、二年間460名の区員を統率した。

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