横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

今日の4時、オフィスを出て茅ヶ崎の市民会館に車で出かける。
これは、会員の都築さんが半年がかりで準備したコンサート。
都築さんはパソコンを勉強をし、チラシやチケットまで作るようになった。
そのお礼ということで、私のところに3枚のチケットを送ってくれた。


時田さんは生来の盲目。

しかし、音大を出て、バリトン歌手となった。
それだけでなく、ピアノも弾けるバリトン歌手。
すごい声量。それだけでなく、語りが実にすばらしい。
人に勇気や元気を与えてくれる歌手。

語りの中に、
音大の学生のころ、やはり、ハンディがあったことと、
自分に声が出なかったころ、自分は落ち込んでいったという。
また、運悪く、アトピー性皮膚炎にもかかり、自暴自棄になっていたとき、
お父さんが来て、話をしてくれた。


「人は生かされている。だから、必ずそれぞれの人に、使命がある。

お前にしかできない使命が必ず見つかる」


その言葉に救われ、今、その使命で一生懸命にまい進している。

自分が生まれたとき、両親は相当苦しんだ。

しかし、その父が、事あるたびに自分に、

「お前が生まれてきて、本当にありがとう」、と言ってくれたという。


また、その父親が、大阪のある医者から、こう言われたという。


「おとうさん、この子の目は今の医学では治せません。

しかし、この目が見えないからといって、
体全身を駄目にしないでください」、と言われたという。


お父さんはこの言葉で、はっきりと目が覚めたという。

時田さんは、こう言う。


金子すずよの詩を引用して、


自分が手を空に向けて広げたとて、鳥のように空は飛べない。
しかし、その鳥は、私のように地べたを走ることはできない。
自分には鈴のようなきれいな音色を出すことはできない。
しかし、鈴は、私のように多くのすばらしい歌を歌うことはできない、と。

また、時田さんの話で最も印象に残った話がある。


自分が、音大の学生のころ、神戸から大阪に通っていたときの話。
いつもはなんでもない乗換えだったのだが、なぜかその日は、道がわからなくなり、
一人たたずんでいた。
すると、一人の酔っ払いが、自分に近づいてきて、
「おい、兄ちゃん、どうしたんや?」
「神戸に帰るために乗り換えたいが道がわからなくなってしまったんです。」
すると、その酔っ払いは、
「あ、そうか。そんなら、ワイが連れて行ってやるわ」、



と言って手を引っ張り始めた。
自分は、半信半疑で引っ張られるほうについていった。
足は千鳥足で、いったいどうなるものかと心配であった。
しかし、無事に、神戸行きの電車に乗ることができた。
すると、その男も自分の横に座ってしまった。そして、自分に、


「兄ちゃんは、神戸に帰るんか?ええな、

買えるところがあって。ワイなんか帰るとこなんかあらへん。

待ってくれてる人もいない。 兄ちゃんは、ええな。帰るところが・・・」


時田さんは、この時、何も返すことができなかったという。
神戸の手前4つ目の駅で、その酔っ払いは立ち上がり、


「ワイはここで下りるわ。兄ちゃんがんばりや。本間にがんばりや」


自分はこの酔っ払いに、何かを返してやりたかったが、結局自分の言葉は、


「ありがとうございました」、という言葉だけだった。
すると、酔っ払いは電車から降りるとき、


「おれは人の役に立った。おれにもできた。」、





という言葉が聞こえてきた、かすかに。


自分はその後、あの人のことは頭から離れない、という。

時田さん、ありがとう。
都築さん、ありがとう。