横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

悠生園

悠生園

五十九年の八月に、夫は悠生園に入園することが出来た。 お蔭で私は大分楽になった。入園した夫から、毎日ハガキが届いた。 園内の生活、私が行く時、持参する物、待っていることなど、いつも似たようなことを書いてきた。 また、時々、 「俺はこんな所に …

夫病む

夫病む

五十八年ころより、夫の神経痛はひどくなった。そのうち、リュウマチを併発し、次第に歩行が困難になった。 及川病院に四、五日おきに通い、膝から水を抜くことを繰り返した。 病院の往復のタクシーの乗り降りも、時間がかかり、運転手は良い顔をしなかった …

家出

家出

昭和五十六年五月、私は意を決して、家出した。行先は娘たちの住んでいる横浜だった。 昭和四十八年頃、三井郡小郡町に、私の兄と野中氏、私と他一人の四人共同で土地を買った。坪数は二四五八.七一坪だった。この土地を五十五年と五十七年の二回に分けて売 …

火事

火事

一人息子を失った夫は、次第に寡黙となり、機械いじりに熱中した。時には夜中まで、金物や電線など、部屋に広げていた。 ボイラーに勤めている時も、給料の半分は、金物代に消えていた。毎月月末には、金物店から請求書が届いた。 夫の作る物は、手仕事の小 …

昌三急死

昌三急死

寿江美は、結婚してアンマンに住んでいた。 子供が出来てからは、大抵に年毎に日本に帰って来ていた。 その時、一ヵ月ほど、日本に滞在し、帰る時、是非、私にアンマンに来るように勧めてくれた。結婚以来、まだ、誰も先方に行っていないので、一度行くべき …

チャンスは何度も来ない

チャンスは何度も来ない

昭和四十年から五十年にかけ、夫は色々な仕事に手を出していた。 この事業で、この仕事でと、野望を燃やし、元の財産を取り戻そうと、苛立っていたように思う。 四十年頃、肥後に一つの杉山を買っていた。この山は見に行かなかったから、詳しくは分からない …

寿江美の結婚

寿江美の結婚

「ロンドン大学で勉強している」と言う娘の電話で少しは安心していた。 その後は、私も忙しいので時々思い出すくらいだった。 一ヶ月半ほど経ち、娘から手紙が来た。急いで封を切ると、手紙と一緒に男性の写真が出てきた。手紙には、この人と結婚したいから …

道子の結婚

道子の結婚

大阪万国博覧会の時、道子はコンパニオンとして勤めた。 万博に浩宮様がおいでになった時、その案内役に選ばれた。 万博が終わった時、住友バイエル株式会社に就職した。この会社は住友とドイツのバイエル社との合併だった。万博に勤めていた時から、住友の …

昌三の結婚

昌三の結婚

昌三は貿易科を出て、東京の文祥堂株式会社の外商部に勤めていた。 高校の時から、親元を離れ、東京で暮らしている彼は、親も年老いたので、一人息子の自分は、福岡でこれからの人生を築こうと思ったらしい。彼の夢は、不動産会社設立だった。 帰ってみると …