性善説と性悪説

2014年01月09日

人はもともと悪い人間で、教育を通して良くなっているという説と、もともと、人は善人で、堕落して悪い性質を身に着けるという説である。

キリスト教の世界では、原罪という言葉があるように、もともと人は罪深きもの。アダムとイブの犯した罪で神の世界から追放されたもの。だから、悔い改めよと指導される。

しかし、ヨーガの教えは、もともと、人の魂は神から生まれたものであり、善の心を持っている。
しかし、神が与えた欲望というものが強くなっていき、悪の道に落ちていく者もいるという。

神が与えた欲望は、実は神の元に戻りたいという欲望であったはずなのだ。

ある心理学者の実験で、囚人に映画を見せて、その結果を聞いてみた。
映画の最後のシーンで、善人が勝った方がいいか、悪人が勝った方が言いかと聞くと、大半の人が、善人が勝った方が気分がいいと言ったという。

また、災害時に人が助けを求めていた時は、何とか助けてやりたいという気持ちが起き、行動を起こすという。

これもまた性善説を裏付けている。

しかし、一方、他人の不幸は蜜の味というほど、他人の成功話を聞くより、不幸話を聞いた方が、自分としては納得ができる。
これは性悪説のようにも思える。
しかし、これは自分が他人との比較において、不幸せでいたくないというだけのことで、それほど罪深いこととは思えない。

いずれにせよ、人はもともと善なのだ。
魂は善なのだ。
だから、自分はそれを静かに受け止め、決して、悪の道に落ちていかないように。

悪の道は蜜の味?

決してそうではないから気をつけよう。