山の声 義父の死

2014年01月14日

空襲を逃れて疎開先へ

義父は二月のころから、胃が悪いと言い、近くの医院から、薬をもらって飲んでいた。それでも、次第に食欲がなくなり、衰えていった。久留米医大に診察に行くよう、みんなで勧めても、本人は大したことはないと言って、診てもらうことを拒んだ。

「どうも普通の病気じゃあないようだ」、と私たちは内々話していた。

手続きを踏んで、久留米医大の博士に、往診をお願いした。二,三日して来て下さった博士は、即刻入院を勧められた。

父には有無を言わせず、翌日入院させた。

病名は腎臓炎と腹膜炎の併発だった。

一進一退が続き、二ヶ月ほどして、病人が家に帰りたがるので、主治医の許可を得て、退院した。先生には、もう治らぬことは分かっていたと思う。

家に帰ってきた父は、安心した様子だったが、帰ってから十日目、昭和十九年四月に息を引き取った。享年六十八歳だった。

至れり尽くせりの看病をしてあげられたことは、私たちにとっても、悔いを残さず幸せだった。