激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


昭和十四年には、熊本県に大きな杉山を買った。価格は三万五千円だった。

今から差し詰め、二、三千万円の山だろう。

福岡の金川材木店から、三万円を借用した。借用した金の返済には、素材と製品を、送り込むことで契約した。

夫もいないのに、そんな大きな山をと思ったが、義父が乗り気だったし、割安の山ということで、思い切って買うことになった。

福岡に住んでいた兄が、保証人に立ってくれて、借用することができた。勿論、母や義姉は危ぶんで反対した。

山を買い取って、十日後には伐採を始め、傍から搬出も始めた。木の伸びもあり、材質も良かったので、これなら利益も出るだろうと希望を持っていた。

さて、この年の梅雨は、例年になく雨が多く、毎日毎日、降り続き、何百ミリという降雨量を記録した。そして、 7 月に入り、大洪水となった。

木材を積んで通る山鹿道路は寸断され、橋も流出して、通行不能となった。戦争中のこととて、人も馬も資材も少なく、復旧はなかなか捗(はかどら)らず、やむなく木材は暫く山に放置した。

我が家の工場でも、出征する人があり、人手はいよいよ少なくなっていた。