激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


私との結婚前の話であるが、夫は現役の時、太刀洗の飛行隊に入隊した。それで、飛行機のことは勿論、機械のことは専門家並みに詳しかった。

夫が現役二等兵の時、秩父宮様が太刀洗の飛行隊に一カ月間入隊された。

久留米市に日本ゴムの石橋別邸が新しく建ち、そこを宮様の一カ月間の宿舎と定められた。宮様は妃殿下と一緒に滞在されたのである。

その宿舎から宮様が毎日飛行隊まで通われる時の送迎の車の運転手に夫は選ばれた。

当時宮様と言えば、簡単に会うことは勿論、話すこともできない時代だった。

運転手の選考は厳しく、様々な検査や調査が一ヶ月ほど続き、夫が選ばれたという。

夫の生家の中広川新代村でも、このことが大評判となり、兎に角名誉なこととして、村人が毎日交代で、高良神社に詣でたり、お宮にお篭りしたりして、一ヶ月の役目の無事を祈願したと言う。

この大役を無事勤め終えた時は、村人は提灯行列で祝い、夫の父は酒樽を抜いて、村人を労ったという。