激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


経済九原則

経済九原則

経済九原則 丁度この頃、福岡銀行の佐藤重役から、自分の持ち山を買って欲しいと言う申し出を受けた。木材は当時多量にもっているので、 「今のところ、山は要りません。重役さん、それに金もありません。」 と、断った。しかし、重役さんは、 「手形で良 ...
朝鮮戦争

朝鮮戦争

昭和二十六年に朝鮮戦争が始まった。 朝鮮の南北戦争である。 この戦争にアメリカが介入し、中国も介入した。 両国で戦い、この時から南朝鮮、北朝鮮が三十八度線で分断されたのである。 この戦争が始まって、物価は上昇し、物価凍結令も効かなくなった。 ...
母の死

母の死

兄は終戦と同時に除隊となり、実家に帰った。母も息子や孫たちと暮らすようになり安心だったと思う。 復員した兄も、さしあたり仕事が無くて迷っていたので、材木屋でもやったらという私達の提案で、本人もその気になり、私達の広川の製材所を引き継ぎ、経営 ...
日田の住い

日田の住い

早津山の方は、道路もまあまあ良くなり、日に数台、荷を積んだトラックが、山から下っていた。 ある日、一台のトラックが、山から荷を積んで、降りる途中、カーブを曲がりそこなって、谷に落ちた。道の片側は、川に続く幅広い傾斜で、川には水が少し流れてい ...
抽木製材所

抽木製材所

早津山の製材所は閉鎖したので、その製材機の一部を上津村の抽木(ゆうぎ)に据えた。ここも水力を利用して、機械を廻した。 長年にわたり、野村工場で職工を務めてくれた足立安夫氏を責任者として、ここの工場の運営を任せた。 この抽木の山中に、和田さん ...
久泉の製材所

久泉の製材所

夫の兄さんの初さんも、製材所を始めたいという希望があったので、中広川久泉に、土地三百六十坪を、四十五万円で買い取った。昭和三十年ころと思う。 早津山で解体した製材機を、ここに据えた。小さな杉山を買って、運営は兄さんがされた。この工場は、兄さ ...
平塚さんの結婚

平塚さんの結婚

早津山で番頭をしていた平塚さんは、早津山を売却し始めた年、私達の仲人で、結婚した。お嫁さんは上広川の人で、当時、上広川小学校の重野先生だった。一年間は次女道子のクラスの受け持ちの先生だった。 夫は、この重野先生に目を付け、何度も先生の自宅に ...
一勝地の山

一勝地の山

早津山を売却して、暫く仕事を離れ、のんびりしようと話していたが、仲介人は始終出入りして、山を勧めに来た。 「野村さん、あんたはこれから遊びなさい。毎日奥さんから小遣銭をもろうて、パチンコもして遊びなさい。あんたが遊びさえすれば、財産は増える ...
大洪水

大洪水

昭和二十八年六月に大洪水が起きた。 三日前から降り続いた雨に、三隈川は水域を越して、水は両岸にあふれ出した。一時間も経たぬ間に周りの人家は床上まで浸水した。 深夜のこととて、人々は寝間着のまま、起き出し、右往左往の大混乱となり、泣き叫ぶ者、 ...
小林の山

小林の山

昭和二十九年に、宮崎県小林市に、一つの杉山を買った。 この山の山主は、古久保安次郎という人で、沢山の山林を持つ資産家だった。若い時は自分で郵便局を経営しておられたそうである。小柄な六十歳代の人と聞いたが、私の目にはおじいさんのように思われた ...
ゼノ神父

ゼノ神父

或る日、ポーランド人のゼノ神父が日田市駅前にある日田木材組合に立ち寄られた。 その頃、ゼノ神父は、久留米市小頭町に教会を開いておられた。この教会は狭くて、古いということだった。修理の必要もあるのけど、資金もないので、援助を求めて、木材組合に ...
叔父 野村幾平

叔父 野村幾平

夫の叔父の野村幾平は、朝鮮平上で手広く旅行用具店を経営しておられたが、朝鮮動乱の時、体一つで内地に引き揚げて来られた。 この叔父は、弁護士の資格もあり、商才もある人だった。笑う顔はとても柔和で、優しかった。 引揚車で、博多駅に下り、千代町ま ...
日田の川開き

日田の川開き

日田の 5 月の川開きは賑わった。 町内毎にどんたく隊を編成し、三日間、市内を踊り歩いた。三隅川の屋形船も、予約の客で賑わい、船の上では芸者をまじえ、酒宴が開かれ、鵜飼舟の篝火が、夜の川に輝いた。 間断なく上がる花火も、闇を彩り、町を挙げて ...
鶴亀定期

鶴亀定期

当時、大分銀行では、くじ付きの鶴亀定期預金というものを作り、預金獲得に努めていた。 昭和三十年に、私の家がこの預金の特賞に当たった。 同じ頃、福岡銀行でも、同じケースで預金を集めていた。 大分銀行の賞をもらって、日を置かず、今度は福岡銀行の ...
選挙事務所

選挙事務所

日田市長を三期勤められた広瀬さんは、昭和二十八年に、代議士に立候補された。 私達の家が広く、大通りに面し、殊に広い土間が通りにあることで、 表の土間だけでも事務所にして欲しいと、市からの再三の頼みにより、土間と応接間だけを、 一ヶ月だけ貸す ...
仏壇を作る

仏壇を作る

夫の叔父山下善助氏は、代々の仏壇屋だった。 優れた彫刻の技術は、京都方面にも知られていた。 善助の屋号も、先祖から続いている。 当時は六十歳で下広川が住居である。 いつもきちんとしておられ、親戚で法要などの時は、この叔父さんだけは、 紋付羽 ...