激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


夫の兄さんの初さんも、製材所を始めたいという希望があったので、中広川久泉に、土地三百六十坪を、四十五万円で買い取った。昭和三十年ころと思う。

早津山で解体した製材機を、ここに据えた。小さな杉山を買って、運営は兄さんがされた。この工場は、兄さんの自宅から近いので、その点便利だった。この土地は間口も広く、広い道路に面していているので、製材所にはうってつけの土地である。

私達は日田に住んでいたので、運営の状況など詳細には知らない。