激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


早津山の製材所は閉鎖したので、その製材機の一部を上津村の抽木(ゆうぎ)に据えた。ここも水力を利用して、機械を廻した。

長年にわたり、野村工場で職工を務めてくれた足立安夫氏を責任者として、ここの工場の運営を任せた。

この抽木の山中に、和田さんという資産家が住んでおられた。山林家である。

和田邸は、自宅の庭が既に杉山で、玄関の前から大きな杉が、美しい姿で立っていた。

子供達は、都会に出て行き、夫婦だけで住んでおられた。住んでいる分には、さして不自由がないように見えたが、街に出るとなれば、日田市か、また、三井郡吉井町まで行かねばならず、日帰りは急がねばできない。

ある日、私は、和田邸の立派なお屋敷に、通されながら思った。金は如何にあろうと、私にはこんな山奥の生活はできない、と。