激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


昭和二十一年に、お手伝いに来てくれた律ちゃんは、とても野菜作りの名人で、工場の裏の畑に何でも作った。茄子も胡瓜も里芋も、とてもよく出来た。

律ちゃんは母親を亡くし、叔父さんの養女となり、その義母もなくしたりで、苦労も多かったと思う。子供たちを親身に可愛がったし、子供たちも慕っていた。

また、綺麗好きで、家の中は、いつも掃除されていたし、合間に畑の手入れにも精出した。

私が、外部で活動できたのも、この人が居てくれたからである。