激動の昭和の時代に、九州の一人の男が、山に生きる


夫の晩年

夫の晩年

木材の方から手を引いた夫は、機械いじりに没頭した。また、六十歳になって、ボイラーの資格、危険物取り扱いの資格、冷凍機取扱い資格などを取得した。これらの資格を持ち、五・六年間はビルに勤めた。 車は十八歳から乗っていたらしいが、七十四歳まで乗っ ...
昌三急死

昌三急死

寿江美は、結婚してアンマンに住んでいた。 子供が出来てからは、大抵に年毎に日本に帰って来ていた。 その時、一ヵ月ほど、日本に滞在し、帰る時、是非、私にアンマンに来るように勧めてくれた。結婚以来、まだ、誰も先方に行っていないので、一度行くべき ...
火事

火事

一人息子を失った夫は、次第に寡黙となり、機械いじりに熱中した。時には夜中まで、金物や電線など、部屋に広げていた。 ボイラーに勤めている時も、給料の半分は、金物代に消えていた。毎月月末には、金物店から請求書が届いた。 夫の作る物は、手仕事の小 ...
家出

家出

昭和五十六年五月、私は意を決して、家出した。行先は娘たちの住んでいる横浜だった。 昭和四十八年頃、三井郡小郡町に、私の兄と野中氏、私と他一人の四人共同で土地を買った。坪数は二四五八.七一坪だった。この土地を五十五年と五十七年の二回に分けて売 ...
夫病む

夫病む

五十八年ころより、夫の神経痛はひどくなった。そのうち、リュウマチを併発し、次第に歩行が困難になった。 及川病院に四、五日おきに通い、膝から水を抜くことを繰り返した。 病院の往復のタクシーの乗り降りも、時間がかかり、運転手は良い顔をしなかった ...
悠生園

悠生園

五十九年の八月に、夫は悠生園に入園することが出来た。 お蔭で私は大分楽になった。入園した夫から、毎日ハガキが届いた。 園内の生活、私が行く時、持参する物、待っていることなど、いつも似たようなことを書いてきた。 また、時々、 「俺はこんな所に ...
園の人達

園の人達

園では、手足のまあまあ利く人で組織されたブラスバンド部があった。その人達は、毎日練習していた。年に一、二回演奏会があり、出演していたようである。 老人を出来るだけ、寝たきりにせぬため、また、痴呆にせぬための音楽療法が取り入れられている。特に ...
幻覚症状

幻覚症状

夫は入院して、半年ほど過ぎたある日、トイレで倒れて、脳梗塞と診断された。 それから寝たきりの状態となった。意識はあるが半身不随である。 園には、有能な看護婦さんが数人居られるので、適切な処置もして下さるし、医師もすぐ呼べるよう指定の病院があ ...
夫逝く

夫逝く

寝たきりになって、三年目頃から、夫はあまり話さなくなった。多分言語障害が来ているのだろう。 私が帰り支度をしていると、いつの間にかスカートを、しっかりつかんでいたこともあった。帰したくなかったのだと思う。 「また、あした来るからね。」 と言 ...
おわりに

おわりに

私は娘たちのすすめもあって、一人には広すぎる家も、物も、見栄も捨てた。 今は小さなマンションに、一人で住んでいる。ここは環境が良く、便利なので、私は気に入っている。 時の流れは、人の心をも洗ってくれるものか、川の流れのように、この世の常なら ...