怒りの心を捨てよ


keizan瑩山禅師(けいざん)は1268年に生まれ、曹洞宗の中興の祖として知られ、宗門の人は“太祖さま”と呼んで慕っている。

瑩山禅師の母親は、長い間、子宝に恵まれなかった。彼女はどうしても子どもがほしいと、観音さまに願をかけた。そして、彼女が37才の時に生まれたのが、この瑩山禅師であった。

彼女は常々我が子に言って聞かせていた。
「そなたは観音さまの申し子です。だから、観音さまのように、慈悲深い人になてほしい」

そんな母親の願いもあって、彼は8歳で出家した。

18才の時、彼は福井の宝慶寺にあって、維那(いの)の役を務めていた。維那の役とは寺務を司る役目である。

ある日、彼は、座禅を怠けて別室で昼寝をしている雲水を見つけた。

瑩山は、カッとなった。

「皆が真剣に座禅をしているのに、自分だけがこっそり昼寝をしているとは何事ぞ。その怠け心が許せぬ。この瑩山が叩きなおしてやる・・・」といったと同時に、持っていた警策を振り上げた。

ところが、その時、彼の耳に母親の声がする。
「いかに自分が正しくとも、怒りに狂ってはなりません。そなたは観音さまのお子なんです。観音さまのごとく、優しい慈悲の心で人々を導いてくだされ・・・と頼んだ。この母の願いをお忘れか?」

瑩山は思わずその場に警策をとり落としてしまった。

彼は自分の短気を反省し、その後は見違えるような柔和な人になったという。