手のひらいっぱいの塩
ある朝、釈迦は比丘(びく:修行僧)に説法した。
「世の中には、悪行の報いで死後、地獄に堕ちる者がいる。
しかし、同じ悪行をしても積んだにもかかわらず、地獄に落ちない者もいる。
いったいこの差は、どうして生ずるのか?」
比丘たちは誰も答えられない。
そこで、釈迦はヒントを与えた。
「ここに手のひらいっぱいの塩がある。小さな茶碗の水にこの塩を加えたらどうなる?」
比丘は答えた。
「それは塩水になり、とても塩辛い水になり、飲めなくなります。」
釈迦は、さらに、問うた。
「では、その手のひらいっぱいの塩をガンジス河に投げ込んだら、ガンジス川の水は塩辛くなるだろうか?」
釈迦はこう説明するのだ。
善行をつんだ人間は、ガンジス川の水と同じで、少しくらいの悪行では 塩辛くならないのだ。
けれども、善行の少ない人は茶碗の水と同じで、手のひらいっぱいの塩でその水は飲めなくなる。
つまり、悪行の報いで地獄に堕ちたり、堕ちなかったりするのは、その人の「器の大きさ」である。
器の大きさとは、要するに、その人がいかに多くの善行を積んだかによる。
釈迦は、生きている間に、多くの善行を積めと教えているのだ。