左遷のくやしさ
2014年01月13日
サラリーマン生活で、地方に左遷させられることほど悔しいことはない。
いっそ会社を辞めようと思う人も多かろう。
そんな人へのメッセージがある。
法然上人の話である。
浄土宗の元祖法然上人の生涯は、逆風ばかり。
その最大の逆風は、1207年、土佐へ流罪されたことであろう。
法然はこの流罪を、このように受け止めていた。
流罪になったことを怨んではいけない。
なぜなら、私はもうじき80になろうとしている。
子弟は京都にいて、別れはまじかである。
京都で念仏を広めることをしてきたが、地方に行って田舎の人々に念仏を広めるのが年来の願いであった。
だが、時が至らず、その願いを果たすことができなかった。
今、こういうことがあって、永年の願いが遂げられることは、むしろ「朝恩」と言ってよさそうだ。
サラリーマンが左遷されるとき、官費、社費で地方の生活ができるのだといった考えもその人の余裕だろう。
因みに、筆者は、実のところ、全ての左遷をはねつけたのだが。
どのように?
それは簡単なはなし。
そんな会社など辞めればいいと思っていたから。