「例外」のすすめ

2014年01月14日

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「人間はすべて例外である」

これはロシア哲学のベルジャーエフ(1948年没)の言葉である。
人間はみんな、一人一人がそれぞれの個性を持った存在である。
一人として同じ人間なんかいやしない。
みんな違っているのだ。
違っていて当たり前なのだ。

ところが、現実は違う。
私達は他人のことが気になる。
自分は、多くの人々と違っていないだろうかと気にする。
具体的には、人ができて自分ができないことを、大変気にするのだ。

どうも、偏差値だとか平均値という意識が、我々をがんじがらめにしているのではなかろうか。
はたして、自分はどの位置にあるのだろうか、と気になる。

流行も同じ。
流行遅れが大変気になる人も多かろう。

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金子みすずの詩に、
「みんな違って、みんないい・・・」
というのがあるが、分かっていても弱い人間はそれができないのだ。

ユダヤ教の律法の一節に、
「あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない」、とある。
この律法は神の命令であるが、ユダヤ教の神は、他人(多数者)がいかに行動しようとそれは構わない。
「あなただけは例外であれ!」
と命じているのだ。

仏教においても、浄土真宗の開祖の親鸞は、
「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なり」
と言っている。
阿弥陀の救済力(五劫思惟の願)は、ただただ親鸞一人のために発動されている、というのである。

言い換えれば、私一人のために仏があると言っているのだ。

自分は仏に守られて、一人の「例外者」であることを自覚しなさいということだ。