働かざるもの食うべからず
唐の禅僧の百丈懐海(えかい)の有名な言葉に、
「一日作(さ)さざれば一日食らわず」がある。
この言葉は、「働かざるもの食うべからず」の意味に解されている。
だが、百丈懐海は禅僧であって、彼はなにも社会主義的スローガンを唱えたわけではない。
禅宗には、「作務(さむ)」と呼ばれるものがある。これは、農耕作業や掃除などの肉体労働である。しかし、これは単なる作業ではない。この作務そのものが禅である。そう思って作務をしなければならない。
ところで、百丈懐海は、80歳になっても日々の作務をしていた。弟子たちは師匠の健康を気遣い作務をやめてくださいと申し入れる。しかし、百丈はそれを聞き入れなかった。
そこで、弟子たちは、作務ができないように、作務に必要な道具を隠してしまった。そうなると、百丈は作務をしようにもできない。仕方なく作務を休止したが、その日、百丈は食事をとらなかった。
そんな日が3日も続いた。弟子たちは師匠に、なぜ食事を召し上がらないのかと尋ねた。その時に、百丈が答えた言葉が、
「一日作さざれば一日食らわず」、であった。
弟子たちは師匠に非を詫びて道具を出す。すると、百丈は早速に作務に出かけ、食事もした。
禅においては、食うために働くのでもなく、働くために食うのでもない。食うことそのものが禅であり、働くことそのものが禅である。寝ることも、休息することも、生活全てが禅なのである。百丈はそう考えており、弟子たちにそう教えたかったのだ。