袖振り合うも他生の縁
袖振り合うも他生の縁とは、道を歩いていて見知らぬ人と袖を触れ合うなどちょっとしたことも、決して偶然に起きたことではなく、すべてが前世からの因縁によるものだということだそうだ。
多生の縁とも言うらしい。
他生の縁は前世で結ばれた縁で、多生の縁は輪廻転生を続けてきた過去世の長い間に結ばれた縁だそうだ。それほどの違いはない。
仏教では、この世の事物、出来事は、全て因縁によって成立していると教えている。なんの原因もなく存在しているものはないのだそうな。
それが仏教の根本思想である。
では、因縁とは何か?因とは直接原因であり、縁は間接条件である。
たとえば、草花の種子が発芽する因は種子である。種子がないと絶対に発芽しない。
けれども、趣旨があるだけでは発芽しない。その種子が土の上に蒔かれないといけないし、適当な水分と空気、日光が必要である。厳寒の冬には発芽しないから、温度が高くなければならない。そのような諸条件が縁である。
いや、権兵衛が種蒔きゃあカラスがほじくる~というが、蒔かれた種がカラスにほじくられると発芽はしない。これはマイナスの縁だという。
実は我々は目に見える間接条件である縁に感謝するが、実は目に見えないマイナスの縁をじっくり考えることが重要である。