無分別のすすめ

2014年01月13日

私の子供時代は毛虫

仏教の言葉と世間一般の言葉が正反対になっていることがある。

「無学の人」、といえば、一般的には学問・教養のない人のことである。
ところが、仏教では、これは褒め言葉である。
真理を極め尽くして、もうこれ以上学ぶ必要のなくなった人が「無学の人」なのだ。

また、無分別というのも同じこと。
我々は、「分別を持って、行動しろ」、と教えられてきた。


だが、仏教では、分別するな!と教えている。

この場合、「分別」というのは、文字通り、「分けること」、「別にすること」である。
何も別に、わざわざ分別(区別・差別)する必要のないものを、我々が勝手に分別し、こだわるのが仏教でいう「分別」である。
たとえば、園芸花と雑草の区別である。
いずれも美しい花なのに。
また、蝶と幼虫(毛虫)もそうである。
蝶は美しい。

毛虫は気持ちが悪い。
これも区別(分別)である。

美人と普通の人も分別。

頭がいい子供とそうではない子供。人の才能など区別する必要のないことである。

このように分別は身勝手な判断であることが分かる。
「分別するな!」と坊さんが怒るのは、正しいように思える。